2023年10月9日(月)

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聖書一日一章    サムエル記第二 8章

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ダビデはその民のすべてにさばきと正義を行った。(15節)

ダビデが周辺の諸国を屈服させたことを記しています。ペリシテ人は、以前に2度撃破していますが、もう一度討って完全に屈服させました。また、死海の東のモアブを討ち、シリアのツォバとアラムの連合軍を討って、ダマスコに守備隊を置き、はるか北のユーフラテス川近くのハマテの王が友好を求めて来、死海の東のエドムも従属し、あらがう国がなくなりました。

さて、15節には、「ダビデはその民のすべてにさばきと正義を行った」とあります。この「正義」という言葉は、注意深く扱わなければならないと思いました。最近は刑事ドラマがさかんで、刑事が正義のヒーローのように描かれています。視聴者を感動させなければならないドラマですから当然ですが、実際はそうでありません。私も犯罪者とかかわりを持っていますが、警察や検察が、被疑者に対して、うそを言って出頭させる、人権を無視する、一方的な言いがかりで、長期間勾留する、というように様々な理不尽を目にしてきました。そこで思うことは、警察も検察も国家組織の官僚なので、国家のしもべであって、必ずしも正義のしもべではないということです。そうだとすると、たずさわっている人、一人一人の良心が鍵になるでしょう。

そのように、一人一人の良心が大切です。しかし、良心によって、自分が良いと思うことを主張した場合、かえって対立や争いが起こることがあります。良いと思うこと、つまり正義は、人によって違うからです。たとえば、個人の益が正義だと考える人もあれば、公共の益が正義だと考える人もあり、自由が正義だと考える人もあれば、みんなが平穏に暮せることが正義だと考える人もあります。ですから、自分の正義をあまり強く主張しないように気をつけなければなりません。神だけが絶対的に正しく正義を知っておられます。

良心も正義の感覚も、もともと神から人間に与えられたものですが、罪のために歪み、曇っています。ですから、私たちは正義については謙遜になりましょう。いつも虚心になって神の言葉を聞き、自分の誤りに気づいて悔い改め、知らないことを前提にして、正義について学んでいきましょう。

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