2023年10月12日(木)

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聖書一日一章    サムエル記第二 11章

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その女は非常に美しかった。(2節)

イスラエルがアンモン人と戦っていて、勝利に近づいたころ、ダビデ王は戦いを将軍ヨアブに任せ、王宮にいましたが、王宮の屋上から一人の女が体を洗っているのが見え、欲情に駆られました。調べさせたところ、家来ウリヤの妻バテ・シェバだとわかりましたが、それを承知の上で王宮に招き入れ、姦淫を犯しました。間の悪いことに、彼女が妊娠し、そのままでは姦淫が知られてしまうので、夫を戦場から呼び寄せ、家に帰らせ、妊娠が不自然でないように偽装しましたが、彼は律儀で、自分だけの特別待遇を断りました。ダビデは仕方なく、彼を激戦地に配置し、戦死するように仕掛けました。うまく行き、だれにも知られませんでしたが、神のみ心を痛めてしまいました。

さて、2節には、「その女は非常に美しかった」とあります。美しい女性、と言っても、どんな人を美しいと思うかは、人によって異なるので、その人にとって美しいという意味ですが、そういう女性は、ダビデの時代から現在まで、男性の悩みの種です。既婚の男性には姦淫の誘惑になりますし、独身の男性には、生涯の伴侶を賢く選ぶことを狂わせます。美しさは、もともと神が与えられた良いものなのに、誘惑になったり判断を狂わせたりするのは、罪のために人間の欲望が歪んでいるからです。罪の現実の悲しさを覚えます。

しかし、ダビデが姦淫を犯したのは、美しい女性を見て欲望を刺激されたことだけが原因ではないと思いました。欲望のままに生きているだらしない人ならともかく、ダビデは理性的で確たる信仰を持っていて、どんなときにも神のみ言葉に従う人でしたから、欲望を刺激されても、払いのけるのは難しくなかったでしょう。しかし、ダビデはこのとき、すべてに成功して高ぶっていたのでしょう。普通なら、自分とは関係のない人だと思うところ、そんな美しい人は自分のものでなければならないと思ってしまったのではないでしょうか。高ぶりは理性も信仰も狂わせます。いろいろなことが順調なとき、高ぶりに気をつけなければなりません。自分が神の前に罪深く滅びるべき者であること、キリストの贖いによってだけ赦され神に愛されていること、今与えられている祝福はすべて神の恵みであることを覚えましょう。

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