2023年10月21日(土)
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聖書一日一章 サムエル記第二 20章
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よこしまな者で、名をシェバという者がいた。(1節)
アブサロムの謀反は彼の死で終わり、ヨルダン川の東側に退避していたダビデ王が帰途につくと、まず身内のユダ部族の代表者たちが迎えに来、競うように他の十部族の代表者たちが迎えに来ました。ところが、シェバというよこしまな者が、「ダビデには、われわれの割り当て地はない」と言いふらしたので、十部族の代表者たちはその言葉をうのみにして彼になびいてしまいました。ダビデは、シェバを放置すれば大変なことになると悟り、追討を命じ、将軍ヨアブと弟アビシャイが追い、ある町に追い詰めたところ、その町の賢い女が住民を説得してその首を差し出させたので、一件落着しました。
それにしても、十部族の代表者たちは、シェバというどこの馬の骨かわからない者に、どうしてなびいたのでしょうか。それは、前からユダ部族との間に亀裂があったからでしょう。サウル王の死後、ダビデを、ユダ部族だけで王に祭り上げたとき、他の十部族はサウルの子イシュ・ボシェテを支持し、部族同士が対立しました。ダビデが国を統一してからは、その指導力でまとめてきましたが、依然としてユダ部族への疑念がくすぶっていたようです。そんなときに、シェバが悪く言いふらしたので、扇動されてしまったのです。
私たちの社会も利害の異なる多くのグループからなっていますし、企業やいろいろな団体も、外から見れば一つでも、内実は多くのグループの複雑な関係があります。そんな中で、だれもがある程度我慢し、一致を保っているのではないでしょうか。ですから、だれかがほかのだれかのことを悪く言いふらしただけで、簡単に対立が起こってしまいます。教会も人間からなる限り、それは同じです。ときに亀裂が大きくなってしまうことがあります。
しかし、教会には、一つになれる本質があると思います。パウロはエペソ人への手紙4章で言います。「御霊による一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのもののうちにおられる神はただひとりです。」私たちのうちにおられる方はおひとりなので、その方によってだけ一つになれるのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成