2023年10月22日(日)
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聖書一日一章 サムエル記第二 21章
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サウルとその一族に、血の責任がある。(1節)
ダビデの治世のある時期に、3年間続いて飢饉が起こり、ダビデが神に、原因を伺うと、神は、「サウルとその一族に、血の責任がある。彼がギブオン人たちを殺戮したからだ」と言われました。ギブオン人というのは、イスラエルが征服する以前からギブオンという町に住んでいた先住民で、イスラエルに敵対するのをあきらめ、和を結んだ人々です。サウルは自国民の利益を優先するあまり、彼らを撲滅しようとしたのですが、それは、罪のない人を殺す残虐な行為であると同時に、神の名で誓った誓いを破る冒涜でした。そこで、ダビデがギブオン人に、どう償えばよいかと尋ねると、彼らは、報復として、その一族の7人の命を要求しました。そこで、ダビデは、サウルのそばめの息子2人とサウルの娘の息子5人を引き渡し、ギブオン人は彼らを処刑しました。ダビデは彼らの骨を、ある所に埋葬されていたサウルとヨナタンの骨とともに、郷里の墓に丁重に葬り、敬意を表しました。
さて、サウル王がギブオン人を殺した罪に対して、神が「血の責任がある」と言われ、ダビデがサウルの一族の息子たちを引き渡したので、息子たちにも流血の罪の責任があるという印象を受けます。しかし、親が犯した罪の責任が子にもあるというのは、聖書の原則に反します。神はエゼキエル書18章20節で、「罪を犯した者が死ぬのであり、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がない」と言われます。また、ローマ人への手紙2章6節は、「神は、一人ひとり、その人の行いに応じて報いられます」と言います。罪を犯した人に罪の責任があるのであって、親にも子にもその責任はありません。それでは、その一族に「血の責任がある」というのはどういう意味でしょうか。それは、罪には、神のさばきによって、災いがともなうもので、災いはその人自身にとどまらず、その一族にも及び、一族はその災いを受ける宿命にあるということです。子は、親の罪の責任を問われませんが、親のせいで大変な苦労をするというようなことです。しかし、キリストを信じるとき、どんな災いもすべて幸いに変わることを私たちは知っています。さらに、主を信じ、主に従って歩んでいくなら、子孫が自動的に救われるわけではなくても、主の祝福が子孫に及ぶことを知っています。
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