2023年10月23日(月)
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聖書一日一章 サムエル記第二 22章
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主は、天を押し曲げて降りて来られた。(10節)
ここにはダビデの代表的な詩が掲載されています。この詩は詩篇18篇とまったく同じです。
ダビデは7節で、「私は苦しみの中で主を呼び求め、わが神に叫んだ」と言います。ある苦難のときに、神に助けを祈り求め、叫び求めているようです。すると、10節にあるように、「主は天を押し曲げて降りて来られた」のです。とはいえ、神は天におられ、天から万物を統べ治め、光の中におられ、だれも近づくことのできない方ですから、そんな方がダビデの所まで降りて来られたとは考えられません。神は天からダビデを一瞬で助けられたのでしょうが、ダビデの感覚としては、神が自分のところまで降りて来られたのでしょう。神の力をじかに感じたからです。ダビデを愛しておられる神の意識は、たしかに彼のところにあったに違いありません。ダビデを愛するゆえに、意識を苦しむ彼に傾けておられた神は、千年後に、ご自身のひとり子を苦しむ人々に遣わされました。キリストが地上に来られたことは、文字通り、神が「天を押し曲げて降りて来られた」ことでした。
ところで、6節では、「よみの綱は私を取り巻き、死の罠は私に立ち向かった」と言います。死が自分の近くにあり、死が自分を捕らえようとしているという意味ですが、これまでダビデの生涯をずーっと見てきましたので、これが単なる表現ではなく、彼の現実そのものだったことを切実に感じます。ダビデの生涯は死と隣り合わせの毎日でした。そんなダビデにとって、「主は、天を押し曲げて降りて来られた」ということは、どんなにありがたかったでしょう。私たちも、未来に、死と隣り合わせの毎日を過ごすことになるかもしれません。そうなったときには、「主は、天を押し曲げて降りて来られ」るということのありがたさをもっと感じることでしょう。
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