2023年11月1日(水)
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聖書一日一章 列王記第一 7章
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ツロからヒラムを呼んで来た。(13節)
ソロモン王は、神殿を建てた後、王宮を13年かけて建てました。王宮は、「レバノンの森の宮殿」、「柱の広間」、王がさばきをする「王座の広間」、王の住居などからなっていました。13節以下は神殿に関することで、木材の輸入元のツロから細工師を呼び寄せ、青銅で、本堂の玄関の右左の柱、祭司が体をきよめる洗盤、「海」と呼ばれる水槽を造らせたことを記しています。
さて、王宮はとてもしゃれた建物です。「レバノンの森の宮殿」は、15本ずつ4列のレバノン杉の上に建物を建て、レバノンの森の雰囲気を出したものです。「こんな昔に」と驚きます。現在の名建築と比べても見劣りしないでしょう。神殿の青銅の設備もみな芸術品でした。柱は、頭の部分が格子網で覆われ、ざくろのような飾りで取り巻かれていました。水槽も、ただの大きな容器ではなく、12頭の牛の像の上に載っていて、ふちにはひょうたん模様が2段になっていました。そのような才能は、神が与えられたものです。神は才能を、すべての人に同じようにではなく、ある人には1タラント、ある人には2タラント、ある人には5タラント与えられます。なぜある人にだけ多くの才能を与えられるのかと思いますが、そういう人がいなければ、車やスマホのような便利なものも、皆が大好きな歌も、感染を予防するワクチンもありませんので、すべての人の益のためであることは確かでしょう。
ところで、才能は神が与えられたものですが、神から与えられたということだけで、神に喜ばれるわけではありません。11章に記されていますが、ソロモンは晩年、信仰を捨て、外国の女性たちを愛し、彼女たちの神々を拝むようになりました。そうなると、神はソロモンの建てた神殿もいやな思いで見られるようになったことでしょう。幸い、イスラエルには信仰深い人が多くいて、神殿を祈りの家として尊重したので、神は神殿をその人々のゆえに受け入れておられたと思います。しかし、後に外国の軍によって破壊されますが、人々が信仰を捨てたので、神が神殿を不用なものとみなされたからでしょう。信仰なしには、才能も価値がないものです。才能は、その人の神への態度によって、神に喜ばれもし、嫌われもするものです。
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