2023年11月2日(木)

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聖書一日一章    列王記第一 8章

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その思いがあなたの心にあったことは、良いことである。(18節)

ソロモン王は神殿が完成したとき、契約の箱をそこに運び入れるイベントを盛大に行いました。契約の箱は、神自ら十戒を記された石の板を収めた箱で、神殿の中心です。ソロモンは、契約の箱を安置した上で、父ダビデの遺志を継いで神殿を建てた経緯を述べ、奉献の祈りをささげました。

この祈りはすばらしいものです。神と人間のありようを正しく表現しています。国力を注いで建てた大いなる神殿なのに、「天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです」と言います。神が限りなく偉大な方であり、神殿のような所に住まれないことをはっきり認めています。しかし、神が「わたしの名をそこに置く」と約束されたので、民がそこに向かって祈りをささげるとき、聞いてくださいと願います。また、「罪に陥らない人は一人もいません」と、人間の罪深い本質をよく認識しています。その上で、正しい人の祈りを聞いてくださいと言わず、罪深い者の祈りを憐れんで赦して聞いてくださいと言います。たしかに、私たちは祈りを、赦してくださいと言って始めなければなりません。でも、幸いなことに、神はキリストによって赦してくださいます。

さて、父のダビデが神殿を建てたいと願ったのに、神が許されなかったことについて、18節で、神がダビデに言われた言葉を引用します。「あなたの心にはいつも、わたしの名のために家を建てたいという思いがあった。その思いがあなたの心にあったことは、良いことである。しかし、あなたはその家を建ててはならない。」ダビデの願いは良い願いだったのですが、神は許されなかったと言うのです。つまり、良い願いでも、神が許されないものがあるということです。神には人間の考えをはるかに超えた深い考えがあるからです。ということは、純粋に神と神の国のためを思い、神を愛し人を愛して何かを願い、祈っても、かなえられないことはあるということです。逆に、かなえられなくても、その願いが悪いとは限らないということです。同時に、後にその願いをソロモンによって実現されように、良い願いは、たとえ今かなえられなくても、きっといつか実現されるということです。

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