2023年11月8日(水)
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聖書一日一章 列王記第一 14章
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彼の母の名はナアマといい、アンモン人であった。(21節)
イスラエルの国は、南部のユダ王国と北部のイスラエル王国に分裂してしまいました。イスラエル王国のヤロブアム王は、エルサレム神殿が相手国にあるため、民がそこに礼拝に行くことで、民の心が相手国になびくことを恐れ、神殿の代わりに、金の子牛を造り、国の礼拝所としました。それは神を冒瀆するとんでもないことでした。そのころ、彼の子が病気になり、彼のことを預言した預言者アヒヤに祈ってもらおうと、妻を変装させて行かせましたが、アヒヤは見破り、彼の罪を責め、その子の死と彼の家の滅びを預言しました。そして、まもなくその子が死にました。ユダ王国のほうは、エジプト軍に攻められ、神殿と王宮のあらゆる宝物を奪われてしまいました。
さて、北部のイスラエル王国のヤロブアム王は、金の子牛を造り、民を迷わせたことで非難されていますが、他方、南部のユダ王国では神を正しく礼拝していたかと言うと、そんなことはありません。23節と24節には次のようにあります。「彼らも、すべての高い丘の上や青々と茂るあらゆる木の下に、高き所や、石の柱や、アシュラ像を立てた。この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、すべての忌み嫌うべき慣わしをまねて行っていた。」このように先住民の宗教にひどく染まっていました。どうしてこんなことになったのでしょうか。私は、この傾向は、レハブアム王の影響が大きいと思いますし、彼の母がアンモン人だったことが原因ではないかと思います。それにしても、なぜイスラエルの王の母がアンモン人だったのでしょうか。それは、ソロモンが晩年、多くの外国の女を愛したからです。北部のイスラエル王国のヤロブアム王ももともとはソロモンの忠実な家来だったのに、彼が反逆したのは、ソロモンが外国の女に溺れているのを見たからです。ソロモンは、国のために知恵を尽くし、精力を注いだのに、自ら国が崩れる原因を作ってしまいました。このようなことは、教会や家庭や様々な活動にも起こります。一番努力し精力を注いできた人が、自ら崩壊の原因を作ってしまうことです。ですから、私たちは、いい気にならず、自らの罪深さと愚かさを覚え、いつも罪を告白しつつ、キリストの赦しと霊的しつけを受け、神の憐れみによる守りを祈りましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成