2023年11月11日(土)

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聖書一日一章    列王記第一 17章

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それを食べて死のうとしているのです。(12節)

イスラエル北部のイスラエル王国では、アハブが王になり、外国の王の娘イゼベルをめとり、彼女がバアルという神の熱烈な崇拝者だったので、その信仰を国中に広めました。そんなときに神が人々をご自身に立ち返らせるために召されたのが、預言者エリヤでした。エリヤは王に、神の懲らしめとして、数年間、雨がまったく降らないと宣言しましたが、その通りになりました。エリヤは怒った王の迫害を避け、人里離れた荒地に住みましたが、烏が朝夕パンと肉を運んで来てくれたので、生き延びることができました。間もなく水が涸れたので、神は外国のツァレファテという町のやもめの所へ行くように命じられ、行くと、やもめが最後に残った粉と油でパンを焼き、息子といっしょに食べて死のうとしていました。エリヤは、まず自分に食べさせるように、そうすれば「かめの粉は尽きず、壺の油はなくならない」と言いました。彼女がそうすると、その通りになり、奇跡的に沸いてくる粉と油を売って生活することができました。

さて、神のみわざによって生き延びることができたいい話ですが、そのさなかでは、恐ろしいほどの極限状況だったでしょう。ききんが3年も続けば、だれにとっても生きるか死ぬかの状況です。金持ちは貯えがあるでしょうし、村や町の共同体は助け合って何とかなるでしょう。一番窮乏するのは、エリヤのように、だれにも頼れない人です。彼はわずかな食べ物も手に入れるすべがなかったし、ツァレファテのやもめも、子もちのやもめというだけでも生活に困る状況なのに、ききんとなると、死ぬしかなかったでしょう。彼らの極限状況は、私たちが生活に困るのとまったくレベルが違います。しかし、神の奇跡的助けがあり、生き延びることができました。遭難した人の体験談を読むと、最後の望みが尽き、もうだめだと思ったときに、信じられないようなことが起こって助かったという話がよくあります。神は憐み深く情け深い方なので、世界の片隅で叫んでいる人の叫びを放っておけず、奇跡を起こしてでも助けられるのでしょう。それなら、キリストによって神の子どもになった私たちが、極限状況に陥るとき、放っておかれるはずがありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成