2023年11月12日(日)
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聖書一日一章 列王記第一 18章
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主よ。あなたこそ神です。(37節)
北のイスラエル王国のアハブ王は、外国人の妻イゼベルがバアルという神の熱烈な崇拝者で、二人でその宗教を広めたので、国中すっかり染まってしまいました。エリヤは、そんな国を神に立ち返らせるために神に召された預言者ですが、アハブに数年雨が降らないことを告げ、身を隠しました。雨が降らないまま3年目に、エリヤは神から遣わされてアハブに会いに行き、バアルの預言者450人をある山に集めるように言いました。アハブがそうすると、バアルとイスラエルの神、どちらが真の神かをはっきりさせるために、2頭の雄牛を用意し、バアルの預言者たちとエリヤが、それぞれの神に祈り、天から火を呼び下して、焼こうと提案しました。いわば祈りの試合です。まずバアルの預言者たちが、大声で叫んで祈りましたが、何も起らず、次にエリヤが祈ると、天から火が降り、雄牛を焼き尽くしました。さらに、エリヤが間もなく雨が降ると言うと、すぐに雨が、それも激しい雨が降りました。
さて、バアルの預言者たちの祈りはむなしく、エリヤの祈りはかないました。祈る対象が、にせの神と真の神という違いがあるのですから、当然ですが、今回、それだけではなく、祈りというものが本質的に違うことを思いました。バアルの預言者たちの祈りは、「大声で叫んだ」とあるように、自分たちの願いを聞いてもらうために神に圧力をかけ、神を何とか動かそうとするものです。それに対し、エリヤの祈りは、神がみ心に決めたことだけを行われるのを認めた上で、神が示されたことをその通り実現しますようにと祈るものです。また、彼らは、祈りにおいて、神を敬っているようですが、実際は、自分たちの目的のために神を利用しています。それに対し、エリヤは、「主の祭壇を築き直した」とあるように、祈り以前に、神を崇める礼拝の姿勢を持っています。また、彼らと神との関係は、「身を傷つけた」とあるように、そんなことをしないと聞いてもらえない険悪な関係です。それに対し、エリヤと神との関係は、「私はあなたのしもべです」と言うように、主と主に信頼されているしもべの関係です。エリヤの祈りこそ、クリスチャンの祈りです。私がもともと祈りだと思っていたものは、多分にバアルの預言者的でした。だんだんエリヤ的になっていますが、もっとそうなりたいと思いました。
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