2023年11月19日(日)

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聖書一日一章    列王記第二 3章

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私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか。(13節)

イスラエル北部のイスラエル王国では、アハブ王が死に、その子のアハズヤ王が2年足らずで病死したので、その兄弟のヨラムが王となりました。その間に、モアブの民が反逆したので、ヨラムはモアブを制裁しようと思い、ユダ王国のヨシャパテ王とエドムの王をさそって、戦いに行きました。ところが、死海の南を回ってモアブに向かったところ、水がなくなってしまいました。水がないと、兵も馬も動けなくなってしまうので、大変なピンチに陥りました。そのとき、3人の王の中で一人創造主なる神を信頼していたヨシャパテが、預言者に相談しようと提案し、預言者エリシャの所へ行きました。すると、エリシャは、彼らのいる谷に溝を掘るように指示し、大雨が降らないのに、谷に水があふれ、彼らがモアブに勝利すると予告しました。翌朝、その溝に水が流れて来て、水を確保することができ、モアブに勝利しました。

さて、ヨシャファテはヨラムに、7節にあるように、「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つです」と言いました。しかし、預言を頼まれたエリシャは、同じヨラムに対し、「私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか」と言いました。創造主なる神を信じる者と信じない者との間では、まったく関わりがないというのです。根本的に信頼しているものが違う者同士では、あらゆることがすれ違うということです。たしかに、エリシャが神に伺って神の言葉を受けた場合、ヨシャファテにとっては、絶対に信頼できる言葉ですが、ヨラムにとっては、ただの言葉で、おまじないに過ぎなかったでしょう。そんなヨラムに、ヨシャファテが「私とあなたは一つだ」と言ったのは、関係を悪くしたくないだけの偽りのお世辞でした。私たちも、相手が自分と違う所に立っていることを知りながら、関係を悪くしたくないばかりに、そういうことを言うことがよくあります。パウロはコリント人への手紙第二6章14節で、「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。信者と不信者が何を共有しているでしょう」と言います。神を信じない人と仲良くしてはいけないということではありません。むしろ、ヘブル人への手紙12章14節は、「すべての人との平和を追い求めなさい」と言います。違うのに同じだと、話を合わせないようにということです。

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