2023年11月20日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    列王記第二 4章

_____________________________________________________________________________

あなたと子どもたちは暮らしていけます。(7節)

預言者エリシャの活躍を記しています。夫の預言者が死んで借金に追い詰められた妻のために、一つの壺から油が湧き出るようにし、その油を売って生活できるようにしてあげました。また、専用のゲストルームを用意してくれた裕福な婦人のために、子を身ごもるようにし、その子が急死したときには、生き返らせてあげました。また、ききんのときに、草を煮ていて、間違って毒草を入れてしまったときには、毒を消してあげ、もらった食糧が仲間百人にはとても足りなかったときには、食べて残すほどに増やしました。

さて、ここでは預言者たちの生活を支える奇跡が多いです。預言者たちは、神と神の言葉に身をささげていて、普通の仕事をせず、普通の仕事からの収入はありません。かと言って、預言者という務めから収入があるかと言うと、それはありません。預言者は、神を愛するあまり、世の不信仰を憂えているうちに、神の声を聞くようになり、その声を伝えることに専念するようになったもので、職業ではないからです。敬虔な人々が思いのままにささげる献金によって支えられていて、家族持ちの預言者は、食うや食わずだったでしょう。しかし、この箇所は、神と神の言葉に身をささげた人が、食べて行けないようなことを、神が許されない、神は必ず食べて行けるように支えられるということを教えます。キリストはマタイの福音書6章で、弟子たちに同じことを保証されました。「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、天の父が、知っておられます。まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」

それはキリストの弟子だけのことではありません。パウロがローマ人への手紙12章1節で、すべてのクリスチャンに、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」と言っています。クリスチャンはみな神に身をささげるべきであり、世の仕事をしながらであっても、神のために生きるべきです。そのように神に身をささげたクリスチャンが食べて行けないようなことを神が許されるはずはありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成