2023年11月29日(水)

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聖書一日一章    列王記第二 13章

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イスラエルの戦車と騎兵たち。(14節)

北部のイスラエル王国では、アハブの王家を滅ぼしバアル崇拝を根絶したエフー王の死後、その子のエホアハズ王とその子のヨアシュ王のことをざっくり記しています。この時代には、アラムの侵略に悩まされました。預言者エリシャが死の病をわずらっていたとき、ヨアシュはその家に行き、その寝床に泣き伏し、「わが父、わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫びました。アラムに脅かされているときに、国の精神的支柱であるエリシャを失うのは耐えがたかったからでしょう。エリシャはヨアシュに窓から矢を射るように命じ、彼が射ると、それがアラムを討つことの象徴的行為だと伝えました。次に、矢で地面を打つように命じ、ヨアシュが3回打ってやめると、もっと打てば、その回数だけアラムを討つことになったのにと、残念そうに言いました。ヨアシュはそれがアラムを討つことの象徴的行為だと知りながら、できるだけたくさん打とうとはしませんでした。そうしなかったのは、遠慮からではなく、勝利につながるとは信じられなかったからでしょう。

さて、ヨアシュはエリシャに向かって、「イスラエルの戦車と騎兵たち」と言いました。ヨアシュにとって、アラムの侵略に対抗する上で、エリシャはイスラエルの戦車と騎兵たちと同じくらい頼りになるものだったからです。エリシャの存在感からすれば、そうだとは思いますが、考えてみれば、不思議なことです。イスラエルの戦車と騎兵が正確に何台、何人いたかはわかりませんが、万単位の数だったでしょう。そんな膨大な数の戦車と騎兵と、病気で死にそうで起き上がれない老人が同じくらい頼りになると言うのですから。社会のいろいろな所で、「やっぱり人だね」と言う声をよく耳にします。人間に秘められた力に感心します。

しかし、存在感ということでは、キリストは比類がありません。キリストは、一人で世界を変えられました。また、この世に生を受けたすべての人の罪を一人で身代わりに背負われましたが、これまでに生を受けた人の数が1000億と言われますので、1000億人に匹敵する存在感を持っておられるということです。キリストの肩に世界はかかっています。

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