2023年12月6日(水)
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聖書一日一章 列王記第二 20章
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わたしはあなたの祈りを聞いた。(5節)
ユダ王国のヒゼキヤ王はあるとき病気になりました。7節に「腫物」とあるので、ガンだったかもしれません。そこへ預言者イザヤが来て、「あなたは死ぬ。治らない」と宣告しました。ヒゼキヤは大声で泣き、神に憐れみを請いました。すると、イザヤがまだ王宮を出ないうちに、神から、「わたしはあなたを癒す。寿命をもう十五年加える」というヒゼキヤへの言葉がありました。7節からはすぐに治ったような印象を受けますが、実際には日数がかかったのでしょう。ヒゼキヤは治るまで信じて待てるように、神に癒しを確証するしるしを求めました。すると、神は、日時計の針が十度戻るというありえないことを告げられ、その通りになりました。
さて、この記事は、アッシリア軍が攻めてきて、引き返した記事の後に書かれていますので、その後の出来事のように見えます。しかし、冒頭に「そのころ」とあるように、必ずしもその後のことではありません。18章1節によりますと、ヒゼキヤは25歳で王となり、29年間、54歳まで生きました。15年間寿命を延ばしてもらったとすると、病気になったのは、39歳のときです。一方、18章13節によりますと、アッシリアのセンナケリブ王が最初に遠征してきたのは、ヒゼキヤの第14年、38歳か39歳のころで、病気と前後しています。すると、センナケリブが再度遠征してきて、エルサレムが危機に陥ったのは、それよりずっと後です。そうすると、ヒゼキヤが病気になった意味が見えてきます。つまり、神は、ヒゼキヤが人生最大の危機にあう前に、病気にならせ、癒すことによって、ご自身の力を体験させ、信仰を堅くされたのです。この経験がなければ、その危機を乗り越えられなかったでしょう。
神がなぜ愛する者を病気にならせられるのか、簡単に答えることはできません。ただ、病気になるときに、祈りが深くなることは確かですし、自分の力より神の力に頼るようになるのも確かです。未来に大きな危機がやって来るかもしれず、病気はその時のためかもしれません。いや、だれにでも、いつか人生最大の危機、死がやって来ます。その時のためかもしれません。
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