2023年12月7日(木)

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聖書一日一章    列王記第二 21章

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五十五年間、王であった。(1節)

ユダ王国のマナセ王は、敬虔なヒゼキヤ王の子なのに、天の神をまったく敬わず、外国の宗教やならわしを野放図に取り入れ、国民にも広めたので、神は王国を近いうちに滅ぼすと宣告されました。実に、最低最悪の王です。たしかに、信仰の視点で見ればそうでしょう。しかし、この世的な視点で見れば、どうでしょうか。マナセは、1節のように55年間に渡って王として治めました。これは、イスラエル王国とユダ王国の王たちの中で最長です。その間、謀反がなく、戦争もありませんでした。そして、18節にあるように、安らかに死に、葬られました。マナセはかなり良い統治をしたと言えます。このような統治ができたのは、強いアッシリアに貢を納めて従属し、他の国々ともうまく折り合ったからです。外国の宗教を取り入れたのも、その外交政策の一環でしょう。マナセは、この世的には、成功したと言えるのでしょうか。その生き方は、信仰を抜きにすれば、良い生き方なのでしょうか。

私はそうではないと思います。マナセの生き方は、いわゆる八方美人の生き方です。八方美人というのは、誰にでも愛想よく振る舞う人のことです。誰からも好かれるうまい世渡りの術のようですが、実は世間では、あまりよく思われていません。ほめ言葉よりも皮肉として言われることが多いです。実際、自分の意見がない、本音を言わない、本当の自分を見せない、何を考えているのかわからない、言うことと行動がちぐはぐだ、といった印象を持たれがちです。また、本人も、自分というものがわからなくなったり、心から信頼できる友だちがなかったり、人前では笑顔でも、一人になると暗かったり、疲れ果ててしまったりと、悩みが多いのです。マナセも、歴代誌第二33章11節によると、晩年、貢を納めていたアッシリアの王に捕えられます。

人の顔色を見て生きる生き方はむなしいものです。むしろ、この世界を治めておられる神の顔色を見て、神に喜ばれる生き方をしましょう。私たちはなかなか神に喜んでもらえませんが、キリストを信じていると、神はあらゆる無作法を赦して喜んでくださいます。そして、神に喜ばれると、神がきっと人からの愛顧や信頼できる友だちを与えてくださるに違いありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成