2023年12月14日(木)

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聖書一日一章    歴代誌第一 3章

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捕らわれ人エコンヤの子は、シェアルティエル。(17節)

ここではダビデ王の子孫の系図を記しています。17節には「捕らわれ人エコンヤの子は、シェアルティエル」とあります。「エコンヤ」はエホヤキン王のことで、父エホヤキム王がバビロン軍に捕らえられて死に、代わりに王になったところ、3ヶ月でバビロン軍に捕らえられ、バビロンに連行され、それからずっと牢獄に入れられていて、37年目に釈放されました。

さて、「捕らわれ人エコンヤ」とは、なんと悲しい呼び名でしょうか。18歳で王となりすぐ捕えられたので、37年目だと、54歳までずっと牢獄にいたことになり、そう呼ばれてもおかしくありません。それにしても、昔の牢獄は狭くて暗くてひどいもので、そんな所で人生の大半を過ごすのは実に不幸です。しかし、牢獄も悪いことばかりではないと思います。もし人がそんな所に閉じ込められて何もすることがなければ、どうするでしょうか。思い出にふけるでしょうか。空想するでしょうか。おそらく多くの人は、なぜこんなことになったのかと考え、自分を見つめ、自分の悪を反省するのではないでしょうか。そして、以前に神のことを聞いていたり、獄中で神のことを聞けば、神を意識して自分のことを考えるのではないでしょうか。エホヤキンは、列王記第二24章9節で「主の目に悪であることを行った」と言われています。たった3ヶ月なのに、こんなふうに言われるのは、よほど傲慢だったからでしょう。そんなエホヤキンも、幼い頃から神の言葉を聞いていたに違いありませんから、神のことを考え、神を冒瀆したことを反省したことでしょう。そして、いつしか、神の憐みと赦しを祈り求め、その境遇からの救いを祈り求めたことでしょう。死ぬまでに釈放され、バビロンの王の食卓につくような待遇を受けたのは、その祈りに対する神の答えで、彼も深く感謝したことでしょう。日本でも、服役中に福音を聞き、クリスチャンになった方が少なくありません。また、牢獄でなくても、そういう経験をすることがあります。ヨハネの福音書5章でベテスダの池にいた病気の人も、38年間ずっと動けなかったのですから、エホヤキンと同じです。その人もキリストに出会い、その力を経験する幸いを受けました。私たちももしそんな経験をすることがあれば、きっとキリストとの新たな出会いとなるでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成