2023年12月18日(月)

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聖書一日一章    歴代誌第一 7章

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彼はその子をベリアと名づけた。(23節)

イスラエルの民の中で、イッサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセ、エフライム、アシェル各部族の系図です。

さて、21節のように、エゼルとエルアデという兄弟は、ペリシテ人の町ガテに家畜を奪おうとして行って、かえってその町の人々に殺されました。息子たちが家畜を奪おうという愚かな企てをし、殺されてしまうという、両親にとって最悪の悲劇が起こりました。その父は何日も悲しみ続けたので、兄弟たちがかわるがわる慰めに行ったほどです。そんな中で、彼らに男の子が生まれました。その子は「ベリア」、「災いの中で」と名づけられました。その名は両親の気持ちを如実に表しています。悲しみが癒えない中で、生まれたばかりの赤ちゃんは彼らの心をとめどもなく喜ばせたに違いありません。真っ暗な中に光が差し込んで、全体を照らし、暗闇を追い出したことでしょう。両親はどれだけ慰められたかわかりません。

子は親に喜びや生きがいを与えてくれますが、心配や苦労や悩みも与えます。中でも、子がなくなることはこれ以上ないほどの悲しみを与えます。考えてみると、人類の始祖であるアダムとエバもその悲しみを味わいました。つまり、次男アベルが死にました。しかも彼を殺したのが長男のカインだという悲しい出来事です。カインは悔いることもなく、遠くへ行ってしまい、二度と会うことがありませんでした。アダムとエバは、神の言いつけに反して禁断の木の実を食べる道、不従順の道を選んだ悲しさを嫌と言うほど感じたことでしょう。神は前もって「この実を食べるとき、必ず死ぬ」と警告しておられましたが、死ぬよりつらい報いを受けることになったのです。そして、彼らの子孫であるすべての人間もその悲しみを味わうことになりました。

そんな不従順の道と悲しみから、神は私たちを救ってくださいました。そのためには、ご自分のひとり子キリストがいのちを捨てなければなりませんでしたし、神はご自分の子が死ぬのを見なければなりませんでした。神は私たちを救うために、その悲しみを味わわれたのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成