2023年12月21日(木)

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聖書一日一章    歴代誌第一 10章

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彼の首はダゴンの神殿にさらした。(10節)

サウル王の時代に、地中海岸に住んでいたペリシテ人が戦いを仕かけてきて、イスラエル軍は散々に負け、兵は敗走し、サウルは致命傷を負い、自害しました。ペリシテ人はサウルの遺体を見つけ、その首を自分たちの神殿にさらしましたが、ヤベシュ・ギルアデという町の勇士たちは、以前にサウルに助けてもらったので、命がけでペリシテ人の陣中の神殿まで行ってその首を取り戻し、自分たちの町に葬りました。

さて、サウルの最期は悲惨でした。敵の攻撃が集中し、満身創痍になり、ペリシテ人に殺されるよりはと、剣の上に身を伏せて自害しました。死んでからも、武具をはぎ取られ、首をペリシテの民衆の前にさらされました。実に悲惨な死に方です。しかし、それはサウルだけではありません。権力者はその多くが悲惨な死に方をしています。権力の座に着くと多くの敵ができ、権力闘争をしなければなりません。勝つと左うちわですが、負けると、踏んだり蹴ったりの目にあうのです。権力の座というのはそんなに危険な立場です。それなのに、なぜ多くの人が競って得ようとするのでしょうか。人間には、人の上に立ちたい、人の下におりたくないという願望があるからでしょう。

このことに関して、キリストの言葉を思い出しました。キリストはマルコの福音書10章42節以下で言われました。「異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」キリストは神の子として、宇宙を統べ治める力を持っておられただけではなく、人間としても、だれよりも権力を持つのにふさわしい方でしたが、自ら仕えられ、仕える模範を示されました。人々の救いのために仕えられ、人々のために、その罪の贖いの代価として、ご自分のいのちを差し出されたのです。

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