2023年12月23日(土)

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聖書一日一章    歴代誌第一 12章

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身を避けていたとき、彼のもとに来た人たちは次のとおり。(12節)

ダビデが逃亡生活をしていた時期、ペリシテの地に逃れていた1年4ヶ月、サウルが戦死してから全イスラエルを統一するまでの7年、その間にダビデの軍に加わったグループを記しています。どのグループもダビデが全イスラエルの王になったときには国軍の一部となりますが、加わってくれたありがたさとか値打ちは、時期によって格段に違います。何と言っても、ダビデが一人で荒野をさまよっていたときに最初に来てくれた人々はありがたく、一人一人が金のように思えたことでしょう。そして、いろいろなグループがあちらこちらから来て加わり、6百人ほどの集団になりますが、その時期に加わった人々は、家族のようになったことでしょう。しかし、サウルが戦死した後、ダビデがユダ部族に押されてヘブロンで王座に就いた後は、人々がなだれを打って、千人単位、万人単位で加わってきました。その時期に加わった人々は、味方以上ではなかったでしょう。

この値打ちは、その人々が負ったリスクと関係があります。ダビデがヘブロンで王座に就いた後は、サウルの子のイシュ・ボシェテが対抗勢力としていましたが、滅びるのは時間の問題でした。ですから、その時期に加わった人々は、いわば勝ち馬に乗ったのです。しかし、サウルに追われていた時期に加わった人々は、明日はどうなるかわからない危険の中にあり、大きなリスクを負っていました。とくに、ダビデが一人でさまよっていたときに加わるのは、ほとんど自殺行為でした。それだけに、その値打ちは大きかったのです。

キリストはヨハネの福音書15章13節で言われました。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」友だちと言っても、みな同じではなく、その親しさ、大事さは違いますし、友情の強さも違います。その人のためにリスクを負える友だちこそ真の友であり、より大きなリスクを負えるほど、その友情は強いと言えます。とくに、いのちをかけることができるなら、一番の友であり、その友情は何よりも強いと言えます。キリストは私を友と呼び、私を救うためにいのちを捨ててくださいました。キリストは一番の友であり、その友情は何よりも強いのです。

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