2023年12月24日(日)

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聖書一日一章    歴代誌第一 13章

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神の箱を新しい荷車に載せた。(7節)

ダビデは、王権が確立したとき、聖なる契約の箱をエルサレムに移すことにしました。昔ペリシテ人に奪われ、送り返されて以来、国境近くの町に保管されていたのです。ダビデはその箱を新しい荷車に載せ、牛に引かせ、彼自身も人々も楽器を奏で踊って行進しました。しかし、途中で牛がよろめき、契約の箱がひっくり返りそうになったので、御者のウザという人が押さえたところ、突然死にました。その箱は大祭司でも見ることが許されないほど聖なるものなので、手で押さえたことで神に打たれたのです。ダビデは行進を即刻中止し、契約の箱をその近くの家に預けました。それから3ヶ月、その家は目に見える祝福を受けたのですが、それは神が赦されたしるしでした。

さて、そういうことが起こったのは、契約の箱を荷車に載せたことが原因でした。ダビデは荷車をそのために特別にあつらえ、十分丁重に扱ったつもりでしたが、契約の箱は、民数記などで、祭司たちがかついで運ぶように定められていたのです。私たちも大事なものは車の荷台には載せず、自分の手で持つのと同じです。

契約の箱を祭司たちがかつぐように定められていたのは、最も丁重に扱う方法だからですが、それだけではなく、祭司たちが肩にかつぐことに意味があったと思います。契約の箱の中には十戒が書かれた石の板が入っていました。十戒はキリストが解説されたように、「心を尽くして神を愛しなさい」と「隣人を自分と同じように愛しなさい」という2つの命令に要約されます。この命令の趣旨を真摯に受けとめるならば、だれもそれを満足に行うことができず、みな神の厳しいさばきを恐れなければなりません。祭司が十戒の入った契約の箱をかつぐのは、その命令を人々に代わって受け、その厳しいさばきを人々に代わって受ける意味があったと思います。もっとも、普通の人間の祭司にそんなことができるはずがありません。それは未来のことを指し示す預言でした。キリストこそその預言の通りに、神の厳しいさばきを人々に代わって受ける祭司、すべての時代の人々に代わって受ける永遠の祭司として、ベツレヘムにお生まれになったのです。

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