2023年12月28日(木)

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聖書一日一章    歴代誌第一 17章

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天幕から天幕に、幕屋から幕屋に移ってきたのだ。(5節)

ダビデ王は聖なる契約の箱について預言者ナタンに相談しました。自分が立派な王宮に住んでいるのに、神が臨在される契約の箱が天幕では申し訳ない、ふさわしい建物を建てましょうと。ナタンも同感でしたが、その夜、神からダビデへの言葉を受けました。ご自分が神殿を求めていないこと、反対にご自分がダビデのために国家という家を建てること、世継ぎの子を起こし、その王権を永続させることでした。ダビデは感激し、神に感謝しました。

さて、5節で神は、「わたしは、イスラエルを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕から天幕に、幕屋から幕屋に移ってきた」と言われます。モーセがシナイ山のふもとで契約の箱を作ったときには、幕屋という形は神の指示でもありましたが、旅の途中でしたので、移動可能な幕屋以外に選択の余地はなかったでしょう。しかし、パレスチナを征服してそこに住んでからは、もう旅をしなくてよいのですから、幕屋である必要はありません。それに、幕屋は50年ももちませんから、恒久的な石の建物にするのが順当でしょう。幕屋は、モーセからダビデまでの4百年間、何度も造り直され、その度に、石で建て直そうという声が出たでしょう。それなのに、幕屋のままで来たのは、神がそう指示されたからに違いありません。そうだとすれば、神はなぜ幕屋を好まれたのでしょうか。

一つは、人々の目が立派な建物に行かないで、目に見えないご自身に行くためだと思います。私たちは、美しい会堂を見ると、見とれてしまい、そこでどんな神のお働きがあり、どんな信仰と交わりがあるのか、あまり考えないからです。もう一つは、貧しい人々とともにいるためだと思います。美しい立派な建物だと、ボロをまとった人は、自分が場違いのように感じて近づきにくいでしょう。契約の箱以上に神が臨在され、神の臨在そのものであるキリストも、家を持たず、提供された所で泊るような生活をされ、貧しさをまとっておられました。ですから、貧しい人々も恐れずにキリストのそばに行くことができました。私たちも、貧しい者です。キリストにはそんな者でも遠慮なく近づける雰囲気があるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成