2024年1月11日(木)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    歴代誌第二 2章

_____________________________________________________________________________

天も主をお入れできないのです。(6節)

ソロモン王は王権を確立すると、神殿の建設に着手し、多くの荷役人、石工、監督をそろえました。しかし、金細工や織物や彫物などの熟練した職人が見つからず、また、イスラエルには木材がなかったので、レバノンを支配する港町ツロの王にその調達を頼み、代わりに大量の食糧の提供を約束しました。

さて、ソロモンがツロの王に神殿を建てる目的について語っているその言い方に驚きました。創造主なる神を知らないツロの王に、神の権威とか神からの使命だとか、まったく遠慮なく語っています。「私は、私の神、主の御名のために宮を建ててこれを主に聖別しようとしています。このことはとこしえにイスラエルに命じられているのです。」私たちはクリスチャンでない人と話すときには、相手の考えを配慮して、遠慮しつつ話します。しかし、神が唯一の神で、すべての人が崇めるべき神なら、信じているままに話すべきだと思いました。また、ソロモンは神の存在について、その時代の人々がだれも思い至らない高い認識を持っていました。「私たちの神は、すべての神々にまさって大いなる神です。天も主をお入れできないのです。主のために宮を建てようとする私は何者でしょう。」この認識はすごいです。

そこで、私の心に一つの疑問が湧きました。それほど正しく神を認識していたソロモンがなぜ、晩年外国の女たちを愛し、彼女たちの神々を拝み、創造主なる神を捨てたかという疑問です。考えあぐねた末、一つの結論に至りました。ソロモンは神を正しく認識していたが、神を愛していなかったということです。神を正しく認識することと神を愛することは別のことです。ヤコブはその手紙の2章19節で「あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています」と言います。神を正しく認識することは、悪霊でもできるのですから、永遠のいのちを受けているしるしではありません。神を愛していることこそ、そのしるしです。ヤコブはその手紙の1章12節で、「神を愛する者たちに約束された、いのちの冠」と言いますし、2章5節で、「神を愛する者に約束された御国」と言います。私たちが神を愛しているなら、永遠のいのちを受けているのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成