2024年1月17日(水)
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聖書一日一章 歴代誌第二 8章
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彼らは戦士であり、彼の補佐官の長であった。(9節)
ここでは、ソロモン王が外国ににらみをきかせるために防備の町々を建てたこと、また、例祭を行い、祭司たちの組織を整えたことを記しています。
さて、9節には、「ソロモンはイスラエル人を自分の労働のための奴隷とはしなかった。彼らは戦士であり、彼の補佐官の長であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである」とあります。イスラエル人をみな「長」つまり監督や指揮官にしたというのですが、それではだれがその下で働くのか、あるいは戦うのかと思います。8節には、「この地に残されていた人々の子孫に当たる者たちを、苦役に徴用した」とあります。つまり、イスラエルがパレスチナを征服したときに追い出せなかった先住民を労働や兵役に徴用したのです。このことはイスラエル人にとっては幸いですが、ほかの民族にとっては隷属であり、クリスチャンとしては、けっして喜べないことです。
しかし、世の終わりの後に現れる新天新地では、だれもが長となり、働かされたり命令されたりすることがありません。キリストはマタイの福音書19章28節で言われました。「その新しい世界で、あなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めます。」ここでは十二弟子についてですが、パウロはコリント人への手紙6章2節で、すべてのクリスチャンについて、「聖徒たちが世界をさばくようになる」と言います。また、黙示録22章5節は、新天新地に入った人々について、「彼らは世々限りなく王として治める」と言います。新天新地ではだれもが長となり、王となります。それでは、だれが仕え、働くのでしょうか。常識的に考えれば、それは無理なことです。ただそれはこの世の常識で考えてそうなのです。新天新地では、この世では思いもつかないようなことが起こります。この世のことでも、たとえば、江戸時代の人に、現在の民主主義のことを話し、すべての民が主になって政治をするのだと言えば、すべての民が主になるって、そんなことありえないと答えるでしょう。この世のことでも時代が変わると、思いもつかないことが起こるのですから、新天新地では、現在の人にどんなに説明しても理解してもらえない思いもつかないことが起こるはずです。楽しみです。
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