2024年1月20日(土)
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聖書一日一章 歴代誌第二 11章
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自分のために祭司たちを任命した。(15節)
ソロモン王の後を継いだレハブアムが人々の要求をつっぱねたので、北の十部族が離反し、エジプトに亡命していたヤロブアムを王にかつぎ上げ、独立してしまいました。レハブアムは失地を取り戻そうと、18万の兵で戦おうとしましたが、ある預言者の「兄弟たちと戦ってはならない。わたしがこうなるように仕向けたのだから」という神の言葉を聞いて、引き返しました。その後、多くの防備の町を整備したことと、ヤロブアムが金の子牛礼拝を始めたために、敬虔な人々が移住してきたことで、王権が強固になりました。
さて、北のヤロブアムの王国からレハブアムの下にやって来た祭司たちについて、14節と15節では次のように言います。「ヤロブアムとその子らが、主の祭司としての彼らの職を解き、自分のために祭司たちを任命して、彼が造った子牛に仕えさせたからである。」ヤロブアムは本来の祭司を罷免して、新たに祭司を任命したのですが、彼らは偶像に仕える祭司で、真の祭司とはまったく違いますが、その違いとは別に、ヤロブアムが「自分のために」任命したという点で、祭司の本質から外れていると思いました。祭司たちはきっと、王からの待遇や特権に引かれて祭司になったのでしょう。しかし、祭司のように神に仕える者は、神から召され、神のために働く者でなくてはなりません。人の要請で人のために働くなら、もう祭司ではありません。
牧師は、祭司とはまったく違いますが、神に仕える者であることは同じです。ですから、神に召された者が神のためにこの仕事をしなくてはなりません。私もいつも誘惑を受けるのですが、自己実現のためにしてはなりません。それは牧師だけではないと思います。パウロやペテロは、すべてのクリスチャンが祭司だと言っています。ですから、それぞれ神に召された場所で、神のために働かなければなりません。とはいえ、自分がどこに召されているのか、なかなかわからないものです。私は、神学校に入ってからも、いや、牧師になってからも、ほんとうに牧師に召されているのか、不安でした。しかし、だれでも、「主よ、あなたは私をどこに召しておられるのですか。教えてください」と祈っていけば、必ず教え確信させてくださると信じます。
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