2024年1月22日(月)

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聖書一日一章    歴代誌第二 13章

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だれでも若い雄牛一頭と雄羊七匹をもって、祭司となれた。(9節)

南のユダ王国でレハブアム王が死に、その子のアビヤが王になると、北のイスラエル王国のヤロブアム王との間で戦争になりました。アビヤの40万の軍とヤロブアムの80万の軍が対峙したとき、アビヤは山の上から、自分たちの国が血統的にも宗教的にも正当だと延々と演説しました。その間に、伏兵を回されていて、一時危機に陥りますが、神に叫び求め、勝利しました。

さて、アビヤは、自分は神が王として定められたダビデの血筋だし、自分たちの祭司は神が定められたアロンの子孫だし、礼拝も神の定めに沿ってしていると演説しました。これだけ聞くと、アビヤは神に忠実な人という印象を受けます。しかし、列王記第一15章3節は、「彼は、かつて自分の父が行ったあらゆる罪のうちを歩み、彼の心は父祖ダビデの心のように、主と一つにはなっていなかった」と言います。外面は神の言葉に従っていても、心はそうではなかったのです。人間の外面と心とはなんと違うことでしょうか。

ところで、アビヤはヤロブアムの金の子牛に仕える祭司について、9節で、「だれでも若い雄牛一頭と雄羊七匹をもって、祭司となれた」と言います。祭司職を雄牛1頭と雄羊7匹で売っていて、だれでも買えたというのです。しかし、祭司職のようなものは、売り買いしてはならないものです。世の中には、売り買いしてよいものと売り買いしてはならないものとがあります。食品や衣服、電気製品や車などは、売り買いしてよいものです。著作権や特許権のような形のないものも、売り買いできるものです。しかし、競技会やコンテストでの賞や選挙での当選、あるいは裁判での判決は、売り買いしてはならないものです。公平公正でなければならないからです。売り買いしてはならないものの第一は、人間です。神がご自身に似せて造られた人間は、値段がつけられないほど尊いものだからです。そんな人間がかつて売り買いされことがあったのは悲しいことです。同じように、売り買いしてはならないものは、永遠のいのちです。かつて教会が堕落したときに、免罪符として売られたことがありましたが、お金ではとてもとても買えないものです。キリストの尊い血のゆえに、信仰によってだけ与えられるのです。

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