2024年1月28日(日)

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聖書一日一章    歴代誌第二 19章

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この方はあなたがたとともにおられる。(6節)

イスラエル南部のユダ王国のヨシャファテ王は、北部のイスラエル王国の不敬虔なアハブ王から戦争に誘われ、敗北し、ほうほうの体で帰って来たところで、ある預言者からその行動を諌められました。このとき、ヨシャファテはとても素直で、それを聞き入れ、悔い改め、宣教に立ち上がりました。5節以下は、町々にさばき人、つまり裁判官を任命したことを記しています。

さて、ヨシャファテは任命したさばき人に、「あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだ。今、主への恐れがあなたがたにあるように。主には、不正をすることも、えこひいきをすることも、賄賂を取ることもないからだ」と言いました。さばき人は、人々の言い分を判定し、白黒をつけ、罪を犯した者に刑を課し、ときには死刑を宣告する強い権力を持っていました。そんなさばき人には、公正にさばいてもらわなければ、民はたまったものではありません。さばく基準としてモーセの律法がありましたが、実際には、さばき人の胸三寸であり、さばき人はだれからも咎められない強い立場にありましたから、不正もえこひいきも賄賂を取ることもいくらでもできました。ですから、すべてはさばき人の心にかかっていました。神を恐れる心、自分の都合よりも神の正義を大事にする心が、公正なさばきの鍵だったのです。すべての人にはそういう心がありますが、きわめて弱いことが問題です。

6節では、「この方(つまり神は)、さばきが行われるとき、あなたがたとともにおられる」と言います。さばき人がさばきを行うとき、神はそこにおられるというのです。それは、神が世界のさばき主であり、さばき人はその神からさばきをゆだねられているのであり、神はお気持ちの上ではさばき人といっしょにさばきを行っておられるからです。ですから、さばき人が正しいさばきをすれば良いですが、不正なさばきをすれば、神は、そのさばき人を退け、間違ったさばきを是正するために動かれます。この世では必ずしも正しいさばきが行われませんが、神が最終的に正しくさばかれ、神には不正もえこひいきも賄賂もないので安心です。心配なのは自分の罪ですが、キリストがおられ、信仰によって赦されるので、ほんとうに幸いです。

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