2024年1月29日(月)

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聖書一日一章    歴代誌第二 20章

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大声をあげてイスラエルの神、主を賛美した。(19節)

イスラエル南部のユダ王国のヨシャファテ王の晩年のことです。死海の東側のアンモン人とモアブ人が連合して攻めてきました。アラム人の傭兵も加わっていたようで、ヨシャファテが経験したことがないような大軍でした。そこでヨシャファテは国中に断食を呼びかけ、エルサレムに集まった人々の前で、神に助けを祈りました。すると、会衆の中のヤハジエルという人が神の霊を受け、神の声を聞き、その神の言葉によってみなを励ましました。そして、戦いが始まると、「主は伏兵を設けて‥‥襲わせた」とあるのですが、どうも敵の中に反乱軍が出たようで、互いに争って、自滅してしまいました。

さて、15節で、神は人々に、「これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである」と言われました。この戦いは、国のために軍隊が戦う戦いではなく、また、人々が自分たちのために自分たちで戦う戦いでもなく、神がご自身のためにご自身で戦われる戦いだというのです。神がご自身で戦われるので、人々は弱くても大丈夫ですが、栄光はすべて神のものにしなくてはなりません。クリスチャンが神に導かれてするあらゆる働きも、神がご自身のためにさせられるもので、祈りによって自分の力をはるかに超えた力を受けることができますが、栄光はすべて神に帰さなければなりません。

そのような神の戦いにおいて、神を信頼することと祈ることが何よりも大事なのは言うまでもありません。しかし、ここでは、賛美が神の力を受けるために有効な手段であることを教えられました。19節には、軍が出陣するとき、「レビ人たちは立ち上がり、大声をあげてイスラエルの神、主を賛美した」とあります。その賛美は兵たちに、これは神の戦いだ、神が戦われる、自分たちは神に用いられるだけだ、神が勝利されるのを見ようという気持ちを引き起こしたことでしょう。それだけではありません。21節では、賛美する者たちが、「喜びと賛美の声をあげ始めると、主は伏兵を設けて」、敵を襲わせられたとあります。賛美は兵たちに信仰と勇気を与えただけではなく、賛美とともに神の力が働きました。私たちも思いっきり賛美しましょう。きっと神の力が働くことでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成