2024年2月7日(水)

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聖書一日一章    歴代誌第二 29章

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二十九年間、王であった。(1節)

イスラエル南部のユダ王国では、アハズ王が死に、その子のヒゼキヤが王となりました。ヒゼキヤは、神を敬わなかった父アハズとは対照的に、信仰深い人でした。就任したばかりの「その治世の第一年の第一の月に」、神殿を修理し、異教的なものを取り除く作業を始めました。そして、8日間でその作業を終えると、国の不信仰の罪を贖うために、祭司たちにたくさんのいけにえをささげさせ、聖歌隊に賛美させました。さらに、一般の民衆に感謝のささげ物を呼びかけたところ、処理しきれないほど多くささげられました。

さて、神を敬わないアハズが王であったときには、神殿が異教的なものでいっぱいになっていました。信仰の中心である神殿でそうなら、町の中や家の中に異教的なものがどれほどあったことでしょうか。それが、ヒゼキヤが王になった途端にこんなに変わりました。王の力はすごいものです。しかし、33章を見ると、ヒゼキヤが死に、その子のマナセが王になると、マナセは神をまったく敬わない人で、外国の神々、宗教、ならわしを手放しで受け入れ、神殿も町も偶像でいっぱいにしてしまいます。王の力がすごいだけに、王が代わればすべてが変わってしまいます。ヒゼキヤは、29年間王位にあって、国を信仰的に導くことができましたが、導き続けたいと思っても、死を避けることはできません。死を避けることができない人間の王が導く限り、王が死ぬと、国も人々も大きく変わってしまいます。

しかし、私たちには、死がなく永遠に生きられる王キリストがおられます。キリストは私たちを永遠に治め続けられます。キリストは、導けなくなってほかの王に変わるということがありません。永遠の王キリストに導かれる限り、私たちは揺れ動くことはありません。教会も同じです。牧師に導かれる教会が多いですが、そういう教会は、牧師が代わると、大きく変わってしまいます。ずっと同じ牧師にいてもらいたいと思っても、そういうわけにはいきません。やはり、死がなく永遠に生きられる王キリストとそのみ言葉に導かれるのでなければだめだと思います。一人一人がみ言葉に聞き、永遠の王であるキリストに導かれていきましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成