2024年2月8日(木)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    歴代誌第二 30章

_____________________________________________________________________________

人々は彼らを笑いものにして嘲った。(10節)

イスラエル南部のユダ王国では、敬虔なヒゼキヤが王になるや、神殿を修理し、異教的なものを取り除きました。ここでは、整備した神殿で、イスラエルにとってきわめて大事な行事なのに放っていた過越の祭りとそれに続く種なしパンの祭りを行っています。ただ、準備が間に合わなかったので、1ヶ月延期しています。それに先立ち、使いをユダ王国とイスラエル王国の全土に派遣し、創造主なる神に立ち返るように、祭りに参加するように呼びかけました。そのため、おびただしい会衆が集まり、盛大に祭りを行いました。

さて、10節には、「急使たちは、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを笑いものにして嘲った」とあります。これらの地域はイスラエル王国に属する地域で、百年以上何代にも渡り、神を敬わない王が治めていたので、人々もすっかり神に無関心になっていました。そんな人々に、ヒゼキヤの使いが突然、神に立ち返るように呼びかけたので、そんな反応が返ってきたのです。パウロもアテネで偶像の神々しか知らない人々に、創造主なる神に立ち返るように語ったところ、「このおしゃべりは、何が言いたいのか」とか、「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」といった反応でした。とくに、キリストの復活のことを話すと、ある人たちはあざ笑いました。神を信じない人にとって、神の話は、よりどころもなく、でたらめに聞こえるのです。偶像の神々は、神と言っても、霊のようなものですから、創造主なる神とはまったく違います。偶像の神々の宗教は、神々の像を拝むだけで、その神々を信頼しているわけではないからです。創造主なる神を信じる私たちから見ると、神を信じていないのも同じです。そういう人々にとって、神のことを真剣に話し、神に立ち返るように勧めれば、ばかげた話に聞こえるでしょう。

しかし、11節には「一部の人々は、へりくだってエルサレムに上って来た」とあり、その呼びかけを受け入れた人々がいたのです。アテネでも、パウロの話を聞いた「ある人々は彼につき従い、信仰に入」りました。神を信じない人々に、どんなにうまく神の話をしても、ほとんど受け入れられないでしょう。しかし、心に響き、神のことを考え始める人はきっとあるでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成