2024年2月11日(日)

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聖書一日一章    歴代誌第二 33章

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主こそ神であることを知った。(13節)

敬虔なヒゼキヤ王が死に、その子のマナセが王となりました。マナセは神を敬わないばかりか、冒瀆するようなことをしたい放題にしました。父ヒゼキヤが取り壊した異教の礼拝所を築き直し、バアルやアシェラなどの像を置いて自ら拝み、太陽や月なども拝み、神殿の構内にまで神々の偶像を置きました。また、神が禁じておられるまじないや呪術や霊媒をさかんに行いました。6節の「子どもたちに火の中を通らせ」たというのは、モレク神に子どもを火で焼いてささげる残酷な儀式のことで、そんなことまでしました。父が行った改革を無にし、せっかく神に立ち返りつつあった国民を再び偶像の神々に向けてしまいました。実に「いつも主の怒りを引き起こしてい」たのです。

ところが、10節以下には、「主はマナセとその民に語られたが、彼らは耳を傾けなかった。そこで主は、アッシリアの王の配下にある軍の長たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、彼をエルサレムに戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った」とあります。こんな悪いマナセが悔い改め、神に助けられることを経験し、神をほんとうに信じる者となったのです。驚きです。

ここで、思ったことは、神はマナセが行っている悪に対しては怒りを表しても、彼を憎んではおられないということです。憎んでおられたら、もっと早く滅ぼされたでしょうし、へりくだっても赦されなかったでしょう。神はどんな悪人も憎んではおられません。また、神はマナセがご自身を知ることを望んでおられたということです。「マナセとその民に語られた」のも、耳を傾けないので、アッシリア軍を連れて来られたのも、そのためでした。偶像の神々を拝んでいたときから、いや生まれたときから、ご自身を知るように導いてこられたのでしょう。神はすべての人がご自身を知ることを望んでおられます。さらに、神は、たとえ苦しみが多くても、ご自身を知るほうが良いと考えておられるということです。

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