2024年2月14日(水)

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聖書一日一章    歴代誌第二 36章

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この地は安息を得た。(21節)

ユダ王国はヨシヤ王の死後、滅亡へ転落して行きました。王となったヨシヤの四男エホアハズは3ヶ月でエジプト軍に捕えられ、代わりに王となった次男エホヤキムは11年治めましたが、バビロンのネブカドネツァル王の軍が攻めてきて、捕らえられ、死にました。代わりに王となった子のエホヤキンは、3ヶ月で捕らえられ、バビロンへ連れて行かれました。ネブカドネツァルから王として任命されたヨシヤ王の三男ゼデキヤが11年治めましたが、反逆したので、ネブカドネツァルの軍が攻めて来、人々を殺し、神殿を焼き、城壁を壊し、生き残った人々をバビロンへ連れていきました。

さて、21節には、「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が70年を満たすまで、この地は安息を得た」とあります。これは、エレミヤ書25章11節の預言を指しています。ここで、この地がバビロン軍に荒らされたことを「安息を得た」と言っています。荒廃することがどうして安息なのでしょうか。これは、レビ記25章の「安息の年」の定め、7年毎に「安息の年」として耕作をやめ、土地を休ませるという定めと関係があります。人々が不信仰に陥ったときには、その定めも守らず、土地を耕作し続けていたことでしょう。それが、バビロン軍によって人々が散らされ、だれも耕作しなくなって、皮肉にも「安息の年」が守られ、土地が安息を得たというのです。

人々が神を無視し、神のみ心に反したことをしているときには、土地や自然界にも安息がありません。たとえば、人々が利益だけを求めていると、ひどい環境破壊が起こります。逆に、人が神に立ち返ると、土地や自然界にも影響があります。パウロはローマ人への手紙8章19節と21節で言います。「被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。やがて被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。」人がキリストによって救われ、神の子どもとなると、周りの自然界も神の子どもが持つ「栄光の自由」を受けて変わっていくというのです。そして、やがて新天新地では、人も自然界も完全な安息を得るのです。

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