2024年2月17日(土)

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聖書一日一章    エズラ記 3章

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大声をあげて泣いた。(12節)

バビロンを征服したペルシャ帝国のキュロス王は、捕囚のイスラエル人に帰国を許し、神殿の再建を促し、エルサレムから持ってきた儀式用の器を返しました。それで、4万人あまりのイスラエル人が、神殿を再建しようと帰国しました。人々はいったん自分の町に帰り、仮庵の祭りの第七の月が近づくと、いっせいにエルサレムに集まり、祭りをしました。そして、その翌年の第二の月から神殿の工事を始めました。礎を据えたとき、祭司たちも人々も楽器を奏でながら大声で賛美し、喜びの声と泣き声でいっぱいになりました。

さて、12節には、「以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、大声で泣いた」とあります。神殿の礎を据えたうれしい時なのに、なぜ泣いたのでしょうか。紀元1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは、「長老たちは完工した聖所が破壊されたものよりも見劣りがするように思われたので、悲観の声を上げた」と書いています。そういう気持ちもあったかもしれませんが、けっしてそれだけではないと思います。普通、泣くのは悲しいとき、つらいとき、悔しいときです。愛する者が死んだり、大きな失敗をしたり、厳しく責められたときに泣きます。しかし、嬉しいときにも泣くのではないでしょうか。老人たちは、自分たちの町が廃墟となるという悲しみを経験し、外国で蔑みに耐えながら、祖国に帰れる日を50年も待ったのです。ついに帰れたばかりか、神殿まで再建できるのですから、どんなに嬉しかったでしょう。それはきっと喜びの涙だったでしょう。しかも、そんなことが実現したのは神の奇跡以外にないのですから、神への感謝の喜びの涙だったでしょう。

また、老人たちの涙は、自分たちの罪を思い出しての、神の前での謝罪の涙だったかもしれません。この書の10章では、人々が涙を流して罪を告白しています。ペテロも、キリストのことを「あの人は知らない」とひどいことを言った後、思い出して激しく泣きました。謝罪の涙は、悲しみの涙には違いありませんが、良い涙です。パウロはコリント人への手紙第二7章10節で言います。「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせます。」謝罪の涙は救いを与え、救いを確実にします。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成