2024年2月18日(日)
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聖書一日一章 エズラ記 4章
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私たちに属する事柄です。(3節)
バビロンを征服したペルシャ帝国のキュロス王が、捕囚のイスラエル人に帰国を許し、神殿の再建を促したので、4万人あまりのイスラエル人が、神殿を再建しようと立ち上がり帰国しました。そして、神殿の工事をその翌年から始め、ほどなく礎を据えることができました。しかし、すぐに妨害が起こりました。1節に「ユダとベニヤミンの敵たち」とありますが、かなり以前にアッシリヤ帝国がイスラエル王国を滅ぼしたときに、外国からその地に連れて来た民や彼らとイスラエル人との間に生まれた民のことです。彼らは、イスラエル人がいない間に得た権利が帰国したイスラエル人に奪われるのではないかと恐れて敵意を持ち、神殿が再建されると、よりイスラエル人の権利が強くなるのではないかと心配し、いろいろな手を使って妨害してきました。まず、神殿の再建に協力することを提案してきました。何か企んでいたのでしょう。イスラエル人の代表者たちがきっぱり断ると、次に、工事をやめるように脅し、さらにペルシャ帝国のその地方の顧問を買収して反対させました。6節以下のペルシャのクセルクセス王やアルタクセルクセス王の時代のことは、ずっと後の話で、今回の妨害とは無関係なのですが、同じような妨害が続いたことを伝えようとしているのでしょう。そういう事情で、神殿の工事は16年も中断することになりました。
さて、彼らが協力しようと言ってきたとき、イスラエル人の代表者たちは、「私たちの神のために宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属することがらです」と言いました。神殿を建てることは、創造者なる唯一の神への信仰にかかわる事業です。建物を建てるだけなら、お金の面や人材の面で協力してもらえば助かるでしょう。しかし、信仰にかかわる事業は、結果だけではなく、過程においても神の栄光を現すことが大切で、いわばそれ自体が礼拝みたいなものです。ですから、信仰から出た献金や奉仕によってしなければ意味がありません。私たちも教会のことやクリスチャンの活動などで、どんな助けでも欲しいときがありますが、そこで自分たちの力の足りなさを正直に認めつつ、主に期待し、祈り、主の力と聖霊に動かされた人々の働きによってできるとき、主の栄光が現れるのではないでしょうか。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成