2024年2月19日(月)

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聖書一日一章    エズラ記 5章

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彼らの先頭に立っている者の名を書き記すためでした。(10節)

バビロンでの捕囚から解放されて帰国した人々はすぐに神殿の再建に取りかかりましたが、礎を据えたところで、その地に住む異民族の妨害にあい、工事を中断せざるをえませんでした。それから16年、預言者ハガイとゼカリヤの言葉により、代表者たちが立ち上がり、工事を再開しました。すると、早速、ペルシャ帝国の総督が来て、だれの許可で建てているのかと問いただしました。代表者たちがキュロス王の命令によると答えると、総督はその時の王ダレイオスに問い合わせ、それまで工事を続けることができました。

さて、10節のように総督は王への手紙の中で、「私たちは彼らにその名を尋ねました。それは、彼らの先頭に立っている者の名を書き記すためでした」と書きました。「先頭に立っている者」とは長のことであり、権限を持っている者のことです。ペルシャ帝国では、国全体としては王が長であり、各州では王から任命された総督が長であり、町々にも長がいました。現在も、国には大統領や首相がいますし、都道府県や市町村にはその長、会社には社長や会長、学校には校長や学長がいます。しかし、当時のイスラエルでは、ゼルバベルは代表でしたが、民の長だったわけではありません。神殿については大祭司ヨシュアのほうが権限を持っていましたし、工事の再開を指示したのは、預言者ハガイとゼカリヤでした。ですから、長の名を尋ねられた人々は、だれだれですと答えず、自分たちは「天と地の神のしもべであり」、「キュロス王はこの神の宮を建て直すように命令を下しました」というようなちぐはぐな答えをしました。ちぐはぐとはいえ、これが神の民の本来の姿だと思います。代表者たちが「天と地の神のしもべ」だと言うように、神が長であり、代表者たちはしもべであり、神の命令がすべてであり、みなそれに従っていました。神の命令が預言者を通して、あるいはキュロス王を通して伝えられれば、それに従うのです。初代教会も、ペテロが長ではなく、使徒12人もキリストの証人でしたが、共同代表ではありませんでした。独立して異邦人の間で働いたパウロも、異邦人教会の長ではありませんでした。キリストが唯一の長であり、キリストを信じる人々がしもべとしてみ言葉に聞き従うのが、神の民の姿です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成