2024年2月21日(水)

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聖書一日一章    エズラ記 7章

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主の御手が彼の上にあった。(6節)

バビロンから帰ったイスラエル人は、すぐに神殿の再建に取りかかり、その地の異民族の妨害にもかかわらず、神の力によって紀元前515年に完成しました。ここでは、それから約60年後、バビロンに残ったイスラエル人で、祭司で律法の学者エズラが数千人を率いて帰国したことを記しています。

さて、6節には、「主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた」とあります。エズラと同行者たちが旅をするためには、王の許可が必要でしたが、王は許可し、許可証を書いてくれました。さらに、15節に「王とその顧問たちがイスラエルの神に進んで献げた銀と金」とあるように、献金までしてくれました。さらに、22節にあるように、エルサレムを管轄する役人に、「銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油も百バテまで、塩は制限なし」に提供するように命じてくれました。また、9節には、「神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた」とあります。当時の旅は危険で、水を得られず、脱水症で倒れてしまうこともあれば、盗賊に襲われることもあったのですが、無事に着いたのです。また、28節には、「主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた」とあります。バビロンでの安定した生活を捨てて同行する多くの人々を得られたことも、「神の御手が彼の上にあった」からでした。

神のみ手がその上にあったエズラは幸いでしたが、だれよりも神のみ手がその上にあったのは、キリストです。ルカの福音書4章18節で、「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた」と言っておられます。キリストの上にあったその霊は、聖霊のことでしょうが、その霊はキリストを信じる人にも与えられるので、キリストを信じる人は、神のみ手がその上にあるはずです。それなら、困難なことにもどんどん道が開かれていくかというと、必ずしもそうではないように思います。しかし、神からエズラのように特別な使命を与えられて遣わされる時は、必ずそういうことが起こると思います。

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