2024年2月24日(土)

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聖書一日一章    エズラ記 10章

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これに反対した。(15節)

エズラらがエルサレムに着くと、現状を知って愕然としました。パレスチナの異民族との結婚は禁じられているのに、多くの人が結婚していたからです。それで神殿の前で涙ながらに祈っていると、大勢の人が集まってきました。その内の一人が異民族の妻を離縁することを提案し、エズラがその提案を実行しようと言うと、みな誓いました。人々は国民集会を召集し、その集会でエズラが異民族の妻の離縁を呼びかけると、ほとんどの人が賛成しました。

さて、たしかに申命記などで異民族との結婚が禁じられていますし、異民族の人と結婚すると、その民族の宗教の儀式に参加することになり、創造主なる神から離れる原因になるので、問題なのはよくわかります。それにしても、すでに結婚して子どももいるかもしれない夫婦を引き離すのは、ひどくないでしょうか。しかし、どこの国でもその国の法律に反する結婚は認められません。日本では異民族との結婚は自由ですが、結婚する相手は一人と定められています。もし、夫や妻が別の人と結婚している、たとえば外国で結婚していることがわかれば、重婚ということになり、仲良く暮らしていても、子どもがいても、婚姻は取り消されます。これは個人の問題ではなく、国の問題であり、当時の不安定な国の存亡にかかわる問題でした。信仰者には、その時代その時代に直面する難しい問題があります。過去に類を見ない問題であることが多く、聖書の事例や過去の事例をそのまま当てはめることができません。対処するには、み言葉と祈りと聖霊によるしかないように思います。

ところで、15節には、「~だけはこれに反対し、~の支持を得た」とあります。一見、エズラの呼びかけですべての人が賛成したように聞こえますが、反対した人々があり、その反対意見を支持した人々があったのです。このことはとても重要です。反対できる自由な雰囲気があったということです。どんなに良いことでも、だれも反対できないような雰囲気の中で決まるのは問題です。信仰のことや良心のことは、本人の内から出てきたものでなければ意味がないからです。そのためには、一人一人が自由に考え、自由に発言できる雰囲気が必要です。反対する自由、反対できる雰囲気は大切です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成