2024年2月25日(日)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    ネヘミヤ記 1章

_____________________________________________________________________________

契約を守り、恵みを下さる方よ。(5節)

ネヘミヤは、捕囚のイスラエル人の内、解放後もバビロンに残った一人で、ペルシャの宮廷に仕え、出世し、献酌官という王の相談役のような高い位にあり、王の城スサにいました。1節の「第二十年」はアルタクセルクセス王の第20年のことで、紀元前445年に当たります。前の書で、エズラが帰国したのがアルタクセルクセス王の第7年とありましたので、それから13年後のことです。ネヘミヤの所にユダヤから数人の人がやって来て、エルサレムの現状を、「大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです」と話しました。エルサレムの城壁が崩されたというのは、昔バビロン軍によって崩されたことを指しているとも考えられますが、それならネヘミヤも知っていることで、それを聞いて泣くのは不自然です。人々が城壁を修復しようとしたが、異民族の妨害で挫折し、「崩されたまま」ということかもしれません。ネヘミヤはショックを受け、泣いて神にエルサレムの回復のために祈りました。

さて、ネヘミヤの祈りは、泣きながらの祈りですが、ただ感情のままに訴えるような祈りではなく、神に受け入れられるための条件をきちんと踏まえた祈りだと思います。その条件とは、5節で神に「契約を守り、恵みを下さる方よ」と言うように、神の契約に沿っていることです。神は契約を絶対に守られるので、契約に沿っているなら、必ず受け入れられます。まず、神はご自身を愛し、命令を守るなら、祈りを受け入れると約束されました。ですから、神を信じ、神と良い関係を持つことが、第一です。私たちはキリストによって神と良い関係を持つことができます。次に、ネヘミヤは罪を告白しています。自分の罪だけでなく、ユダヤ人全体の罪も告白して、赦しを願っています。罪は契約違反ですので、そのままでは、神も祈りを受け入れられません。罪を告白し赦してもらわなければなりません。私たちは、罪を告白すれば、どんな罪でもキリストの血によって赦していただけるので幸いです。赦してもらったら、罪の行いを改めることです。神以外の何かを頼っているなら、それを捨て、だれかに悪いことをして恨まれているなら、謝罪し、償うことです。祈りは、契約に沿ったものなら、必ず受け入れられます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成