2024年2月26日(月)

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聖書一日一章    ネヘミヤ記 2章

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エルサレムの城壁を調べた。(13節)

ネヘミヤは、バビロンに残ったイスラエル人の一人で、ペルシャ帝国の宮廷に仕え、王の献酌官という高い位にありました。あるとき、祖国から来た人々からエルサレムの惨状を聞き、何とかしたいと思いましたが、王に仕える身であり、自由がききませんでした。たまたまその思いを王に告白する機会があり、思いきって、休暇を与えてくれるように、さらに旅の便宜を図ってくれるように頼んだところ、快諾してもらえました。

さて、ネヘミヤはエルサレムに着くや、ひとりで城壁を見て回り、崩れ具合などを調べました。しかし、自分で調べなくても、エルサレムの代表者たちはその町に住んでいるのですから、ネヘミヤよりも詳しいはずですし、彼らから聞くことができたでしょう。それでも、ネヘミヤは自分の目で確かめたかったのです。どんなに詳しい人がいても、やはり自分の目で見て確かめなければわからないことがあるからです。

ヨハネの福音書1章には、ペテロの兄弟アンデレが、バプテスマのヨハネからキリストのことを、「私はこの方の上に聖霊が天から鳩のように降ってとどまるのを見ました」と紹介されて、キリストについて行きました。そして、キリストの泊まっておられる所に行って、いっしょに泊まってほんとうに信じたようです。直後に、ペテロに「私たちはメシアに会った」と言っていることからわかります。アンデレはバプテスマのヨハネを信頼していましたが、それでも、キリストのことをヨハネから聞くのと、いっしょに泊まって自分の目で確かめるのとでは、違いました。

当時のイスラエルの人々、とくにエルサレムの人々は、キリストのことを、律法学者たちから聞いて、その言葉を信用していました。キリストに会い、話を聞き、自分の目で確かめるということをしませんでした。信じる人が少なかったのは、そのためでしょう。現在の人々も、キリストのことを、哲学者や宗教学者から聞いたり読んだりして知っています。自分で求め、自分で確かめれば、ぜんぜん違うのにと思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成