2024年4月1日(月)

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聖書一日一章    ヨブ記 14章

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人は死ぬと、また生きるでしょうか。(14節)

ヨブの不幸について、親友たちは、何か悪いことをしたから不幸になったのだから、悔い改めれば幸せが戻ってくると勧めましたが、そんな悪に心当たりのないヨブは反論してきました。ここでは、反論の矛先を神に向けます。キリストを知らない時代ですから、ヨブは、友人たちの考えに反発しつつも、彼自身がその考えを正しいと思っている面があり、神もそのように自分を取り扱っておられると思っている面があります。それで、自分に悪がないとは言わないが、その悪に対してこんなひどい仕打ちをするのか、なぜそんなにいじめるかと、神に言いたくなったのです。ヨブは、「人間はその齢が短く、花のように咲き出てはしおれ、影のように逃げ去ります」と、人生のはかなさを強調し、どうせすぐに死ぬのだから、そんなに責めないでと訴えます。ヨブの、人生のはかなさを語る言葉は、ほんとうに共感を呼びます。

ところで、14節では、「人は死ぬと、また生きるでしょうか」と言います。これは質問しているのではなく、反語的に、「死ぬと、生きることはない」と言っていると思います。旧約時代の人々は、人間は死ぬとその霊魂は地下のよみに行くと考えていました。旧約聖書の中で死後の復活を教えている箇所がほとんどなく、2つだけ思い当たります。一つは、詩篇16篇10節で、「あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならない」と言います。もう一つは、ダニエル書12章1節で、「その時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に」と言います。しかし、旧約時代には一般に、死後のことはよくわかりませんでした。そうすると、生きている間がすべてですから、生きている間にヨブのように不幸になれば、生きる意味が何もないことになります。それを思うと、キリストが来られ、すべての人が死後に復活することをはっきり教えられたこと、また、ご自身がすべての人の身代わりに死んで、信じる人がだれでも罪を赦され、復活して天国に迎えられるようにされたことはほんとうに幸いです。私たちは死後について明るい展望を持てるようになりました。なんと感謝なことでしょうか。

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