2024年5月6日(月)
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聖書一日一章 詩篇 7篇
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その者は不法を宿し、偽りを産んでいます。(14節)
ダビデの詩ですが、悪しき者に追われていたようで、神に、助け出してくださいと祈り求めています。そして、もし自分に不正があって、それが原因なら、自分を滅ぼしてください、正しい審判者である神が私をそして悪しき者を調べ、正しくさばいてくださいと祈ります。
さて、この詩はダビデの若いときの詩のようで、いかにも信仰と正義感に満ちた純真な青年の言葉です。というより、神がそんな青年の心と口を用い、永遠に残る言葉を語らせられたのでしょう。それはともかく、4節では、「もしも、私が親しい友に悪い仕打ちをしたのなら」と言い、5節で、「敵が、私のたましいに追い迫り、私のいのちを地に踏みにじるようにしてください」と言います。ダビデはずっと後に、忠実な部下ウリヤから彼の妻バテ・シェバを奪い、彼が死ぬように仕組みましたが、その後に若いときに作ったこの詩を読んだなら、どんな気持ちになったことでしょうか。この時には、自分がまさかそのようなことをするとは想像もしなかったでしょう。ダビデだけでなく、いかに信仰と正義感に満ちた純真な信仰者でも、自分が一番嫌っていた罪を犯すことがあるのです。人間の罪の深さを思わされます。
ですから、自分は正しく歩みたいと思っているし、悪を嫌っているから、大きな罪を犯すことはないなどと、けっして考えないことです。むしろ、信仰的な正しい歩みができるのは、良い条件が重なったからであって、神の恵みによると、神に感謝すべきでしょう。ダビデの場合は、悪しき者に追われ、明日命があるかどうかわからない身だったので、かえって若い日の情欲が暴れる暇がなかったのではないかと思います。そうすると、ダビデにとって、悪しき者に追われることも、結果的に、不信仰に陥ることや大きな罪を犯すことから守られたという意味で益となりました。悪を善に変えられる神のなされたことです。私たちも苦しい目にあうとき、なぜ神はこんな目にあわせられるのか、なぜこんなことを許されるのかと思いますが、神にはきっと正当な理由がおありなのでしょう。しかし、おそらくその理由はその時点ではわからないでしょう。ずっと後になってわかるかもしれません。
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