2024年5月8日(水)
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聖書一日一章 詩篇 9篇
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主は義によって世界をさばかれる。(8節)
ダビデの詩ですが、神を「義の審判者」としてたたえ、「義によって世界をさばき、もろもろの国民をさばかれる」と言います。そして、神はさばきによって、虐げられた貧しい者を助け、虐げる悪しき者を罰せられると言い、その貧しい者の一人である自分を悪しき者から助けてくださいと祈ります。
さて、8節で、「主は義によって世界をさば」かれると言いますが、私たちは、神が世界をさばかれることも、神が正義の神であることも信じているので、当たり前のことのように思えます。しかし、現実の社会ではけっして当たり前のことではありません。当時はほとんどの国が王が治める王国で、王は絶対的な権力を持ち、思いのままに国を動かし、家臣や国民に命じることができました。イスラエル以外に創造主なる神を知る王はいなかったので、王たちは自分を最高権力者だと思い、国民もそれを認めていました。それでも、たとえば、イスラエルに遠征してきて国を蹂躙し勝ち誇ったアッシリアのセンナケリブ王は、18万の兵を見えない力に打たれ、自身は国に帰って息子たちに殺されました。一方、統治下の民族を尊重し、イスラエル人を捕囚から解放したペルシャ帝国は長く栄えました。国々の王たちや国民たちは知りませんでしたが、神が正義によって世界をさばいておられたのです。
現在では、ほとんどの国で、為政者が選挙で選ばれます。どこの国でも、ほんとうに神を信じている人は少ないので、神を知らない人が選ばれ、神を無視して政治が行われています。中には、選挙で選ばれながら、独裁者となり、自分の思い通りに国を動かす為政者もいます。そんな中で、「法の支配」というのが大切だと最近よく言われます。「法の支配」というのは、政治や裁判が為政者に支配されるのではなく、法律に支配されることです。もっとも、独裁者なら自分に都合のよい法律をいくらでも作れるので、そんな法律に支配されるのではなく、公平、公正、自由、人権などに基づく普遍的な法に支配されるということです。それは言い換えると、神の正義に支配されるということではないでしょうか。神を知らない為政者も、神が正義によって世界をさばかれることを無意識に感じているのです。
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