2024年5月11日(土)

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聖書一日一章    詩篇 12篇

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貧しい人が嘆くから、今、私は立ち上がる。(5節)

ダビデは、神を恐れて誠実に歩む人がいなくなり、偽ったりへつらったり、言葉で人を罠にはめようとする人が多くなっていることに不安を感じ、神に助けを祈り求めます。それに対し、神は、5節で、「苦しむ人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう」と言われます。ダビデはその神の言葉に対し、「主のことばは、混じり気のないことば。土の炉で七度試され、純化された銀」と言って、その言葉への信頼感を表します。質の悪い銀は錆びるのですが、炉で溶かすと、不純物が除かれ、溶かすごとに純度が高くなり、7度も繰り返すと、100%に近くなるので錆びなくなります。神の言葉は、わずかの偽りやごまかしも含まない純度100%の銀です。純度100%の銀がけっして錆びないように、けっして廃れることはありません。

ところで、5節によると、神が立ち上がられる動機は、「苦しむ人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから」ということです。これは私たちが立ち上がる動機とかなり違います。私たちは何かをしようと立ち上がるとき、どんな動機でしょうか。人によって違うでしょう。子どもはおもしろいことや楽しいことがあると、すっ飛んで行きますし、だれでも自分の好きなことのためなら、腰は軽いでしょう。生活に追われているときには、お金が入ることがあれば、自然に立ち上がるでしょう。子育て中のお母さんは、疲れていても、子どもが泣けば、不思議と立ち上がれるのではないでしょうか。人からの期待や世間体のためなら、すぐに立ち上がれる人が案外多いかもしれません。しかし、家族でも親族でも友人でもない人が虐げられていると聞いても、かわいそうにとは思いますが、放っておけないと立ち上がることはあまりないのではないでしょうか。しかし、神は、貧しい人、弱い人が踏みにじられ、苦しんでいるのを見て、放っておけない気持ちになって立ち上がられるのです。いかなるものより偉大な神が、無敵の強い方が、そんな優しい心を持っておられることは、うれしいことですし、ホッとしますし、ほんとうに良かったと思います。神はその優しいみ心によって、滅びゆく人間を救おうと立ち上がり、ひとり子キリストを世に遣わされたことを思い、感謝しました。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成