2024年5月13日(月)
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聖書一日一章 詩篇 14篇
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神は、正しい一族とともにおられるからだ。(5節)
ダビデはこの世界全体を見渡してこの詩をうたっています。人々は総じて「愚か者」であり、「神はいない」と言う無神論者であると言います。無神論が世界的潮流である現在ならともかく、だれもが何らかの宗教を持っていた時代にあっても、ほんとうに神を信じる人はわずかで、大多数の人は宗教儀式をしているだけで、神を信じてはいないということでしょう。2節では、「主は天から人の子らを」「神を求める者がいるかどうかと」見下ろされたところ、「善を行う者はいない。だれ一人いな」かったというのです。この世界は一見、一部の悪者を除いて、人々が正しい生活をしているように見えます。しかし、それは、社会に、警察があり、また、悪いことをしないように互いに見張っているので、恐れて慎んでいるだけです。人々の心に悪がないわけではありません。うわべを見ず心を見られる神が見られると、だれ一人善を行う者がいないのです。つくづく、キリストが言われたように、人は新しく生まれなければ神の国に入ることができないということを思います。
そんな中で、キリストを信じて新しく生まれた私たちは、まったく悪いことをしないわけではありませんが、基本的に、神に従いたい、神に喜ばれたいと思っています。それは何よりもの幸いです。しかし、そんな私たちはこの世界においては異質な存在です。ですから、ほかの人々から冷たい目を向けられたり、嫌われたりするのです。キリストはヨハネの福音書15章19節で言われました。「あなたがたはこの世のものではありません。そのため、世はあなたがたを憎むのです。」
そんな私たちにとって、ダビデが5節で、「神は正しい一族とともにおられる」と言っていることは、とても安心できることです。神は暴力や争いを嫌われます。私たちが神に従うとすれば、キリストが教えられたように、右の頬を打つ者には左の頬を向けるべきですし、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈るべきです。しかし、そんな無防備な生き方で、この荒々しい世界でやって行けるのでしょうか。そんな私たちに神は、「わたしは正しい一族とともにいて、踏みにじろうとする者を倒す」と言われるのです。
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