2024年5月16日(木)

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聖書一日一章    詩篇 17篇

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あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。(3節)

ダビデはライオンのように取り囲む敵どもからの助けを必死で叫び求めます。彼らは、地上のことにしか関心がなく、高慢で、貪欲な人々でした。そんな彼らから、「瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください」と祈ります。また、神が自分の心を調べられたが、やましい思いは何も見つからなかったということを、祈りを聞いてもらう根拠としています。

さて、2節では、「御前で、私のためのさばきが行われ」ますようにと言います。神のさばきと言うと、人が何かをしたことに対して、報いたり、罰したりされることですが、ここでのさばきは、人がまだ何かをする前に、祈っているときに、その心を調べ、良い悪いを判断されることです。ですから、3節で、「あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました」と言います。しかも、神は祈りの内容よりも祈っている人の心を見られます。心がきよければ、かなえられますし、心に不純なものがあれば、かなえられません。というより、神は、そのままではかなえられないので、不純なものを捨て去るように、その人に気づかせたり、語りかけたりされます。私たちは心の中にある、神への不信、貪欲、ねたみ、自分中心の考え、事なかれ主義、高慢などに気づいたら、捨て去らなければなりません。捨て去ると、祈りの内容も変わり、確信して祈ることができ、きっとかなえられるでしょう。

私はここで祈ることの幸いを思いました。神を知らず、祈りを知らない人は、自分の考えで行動し、その結果を身に受けます。誤りのない人はいませんが、誤りは人にいろいろな痛みをもたらします。人はそのときになって始めて、自分の誤りに気づくことでしょう。しかし、神を知っていて何をするにも祈る人は、行動する前にまず祈るでしょう。そのとき、神はその心を調べ、誤りや不純な動機がないかを調べられます。そして、あれば、捨て去るように導かれます。祈りの中でさばかれるのです。行動する前に祈り、祈りの中でさばかれれば、実際に行動した結果でさばかれることがありません。それを考えると、祈らないで行動することは危ういことです。神を知らず、祈りを知らない人は、かなり危ういです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成