2024年5月18日(土)

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聖書一日一章    詩篇 19篇

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勇士のように、走路を喜び走る。(5節)

ダビデは大空を眺め、大空を造られた神をたたえます。天体の動きは毎日正確に繰り返されますが、それはコントロールしておられる神の知恵を表しています。7節からは急に、神の言葉に話題が移り、神の言葉も、完全で、真っ直ぐで、不変で、まったく正しいと言います。11節以下では、そんな完全な神と完全なみ言葉のことを思い巡らしていて、自分の過ちの多さを感じ、過ちに気づかせてください、隠れた罪から解放してください、傲慢から守ってくださいと祈ります。

さて、5節では、太陽が「勇士のように、走路を喜び走る」と言いますが、そのたとえに使われている勇士のことを思いました。普通、走るのは、急ぐときや追われるときに仕方なくすることです。息が切れるし疲れるからです。しかし、勇士は喜んで走るというのです。勇士は強く、力が余っているので、移動時であれ、戦闘時であれ、喜んで走るのです。たしかに、力の余っている子どもは、用がなくても走ります。ランニングの趣味の人は、1時間も2時間も走り続けますが、つらいどころか、走らないではおれないようです。

そこで、心に浮かんだのはイザヤ書40章31節のみ言葉です。「若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」「主を待ち望む者」つまり主を信じ拠り頼む者は、走っても疲れないような力を与えられるというのです。生きて行くことはなかなか大変です。苦労が絶えませんし、疲れ果てて何もかも嫌になることもあるでしょうし、死んですべてを終らせたいと思うこともあるでしょう。しかし、キリストを信じ拠り頼む者は、生きていく力を与えられるのです。それは、信仰によってと言うよりも、聖霊によってと言ったほうがよいでしょう。キリストは使徒の働き1章8節で、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、地の果てまで、わたしの証人となります」と言われました。当時の旅は大変で、死を覚悟してするようなことでしたが、聖霊はその旅を、それも地の果てまでの旅を、喜んでさせるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成