2024年5月20日(月)

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聖書一日一章    詩篇 21篇

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いのちを、彼はあなたに願います。(4節)

この詩は「ダビデの賛歌」と記されていますが、側近の者が王のために祈った祈りです。王が神を信頼し、その力を喜んでいるので、神は彼に王冠をかぶらせ、いのちを守り、すべての敵を滅ぼされると言います。

さて、4節では、「いのちを、彼はあなたに願い、あなたは彼にそれをお与えになります」と言います。王は、堅固な城壁に囲まれた堅固な王宮に住み、何万人もの軍を持ち、親衛隊に守られていて、最も安全です。また、王は広大な領地からの収入により、経済的に何の心配もありません。多くの侍従に健康を気づかわれ、専属の医者がつき、そのいのちはだれよりも安泰です。それなのに、神が王の頭に金の冠を置かれたと言った直後に、王がいのちを願い、神が与えられると言うのは、不自然です。しかし、考えてみると、戦争に負けると、真っ先に処刑されるのは王ですし、家来に謀反を起こされる危険もあります。そういうことがなくても、戦争をすれば、何千何万人を死なせることになり、政策を間違えると、何万もの民を路頭に迷わせることになります。そのように、王の立場は責任が重く、緊張に満ちているのです。

その点では、大きな権限と責任を持っている人は、みな同じでしょう。最近、H3という国産ロケットの打ち上げが成功しましたが、プロジェクト・リーダーの人は、2千億円という開発費を水に流してはいけないし、何千人という人の未来がかかっているし、日本中の人が期待していると思うと、一年間まともに眠れなかったそうです。そんな大規模なことでなくても、電車やバスの運転手は何十人何百人ものいのちを預かっていますし、私たちに身近な保育園や幼稚園の先生方も、幼い何十人ものいのちを預かっています。

神を知らない人は、そのような責任をひとりで負い、ひとりで戦わなければなりません。しかし、神を知っているなら、祈れますし、神の助けを期待できますし、自分のできることを精一杯し、あとは神にゆだねれば、神が責任を負ってくださいます。神のみ子キリストが十字架でそのことを示されました。神とキリストを知っていることは、なんと心安らかなことでしょうか。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成