2024年5月25日(土)

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聖書一日一章    詩篇 26篇

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主よ。私を調べ、試みてください。(2節)

ダビデは1節で、「主よ。私を弁護してください」と言います。だれかから非難されていたのでしょう。訴えられ、裁判にかけられていたのかもしれません。相手は根も葉もないことを並べ立て、おとしめ、死刑にする魂胆でした。弁護してくれる味方がいなかったようです。それで神に、自分を弁護し、潔白を明らかにしてくださいと祈ります。そのため、3節から8節で、自分が真理のうちを歩んでいること、悪しき者の仲間でないこと、神を愛し、神の奇しいみわざを語り告げていることを述べます。ただ、だれでもそう言えるし、そう言います。そこで、2節で、「主よ。私を調べ、試みてください」と祈ります。神は、ご自身が調べ、偽りや隠し事がないことを確認した上でないと、弁護なさらないでしょう。偽りや隠し事がないことを確かめるためには、厳しい試みが必要ですので、ダビデはそれを覚悟しているのです。

弁護士は依頼人の味方であって、依頼人の利益のために戦います。そのため、裁判では、依頼人に不利なことは一切言いません。不利なことを明かす義務はないからです。しかし、依頼人との間では、すべての事実、良いことも悪いことも共有しておかなければなりません。依頼人のために有効に戦うためにも必要です。しかし、実際には、依頼人は往々にして、悪いことを隠したり、話を小さくしたり大げさに言ったりするそうです。そのため、良い弁護士は、依頼されたときに、その人に真実を話してくれるように強く言い、事実に照らしてその人の言うことが真実だと確信するまでは、引き受けないそうです。もし後でうそだとわかれば、辞任することもあると、念を押すそうです。依頼人は裁判で試みられる前に、弁護士から試みられるのです。

私たちは神に弁護していただき、助けていただくためには、神に真実を話さなくてはなりません。自分の悪いことも正直に告白し、幸いなことにキリストによる赦しが備えられているので、赦してもらい、そうして神との間の隠し事をなくしましょう。それでも私たちは自分の悪いことを隠そうとする傾向がありますので、神がそれを明らかにしようと試みられるかもしれません。それも私たちを弁護し、助けるためです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成