2024年5月26日(日)

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聖書一日一章    詩篇 27篇

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一つのことを私は主に願った。(4節)

ダビデはこの詩で、どんなに神を慕い求め、どんなに神のみそばにいたいと願っているかをひとり語り、自分を離さないでくださいと祈ります。

4節では、「一つのことを私は主に願った。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために」と言います。「一つのこと」と言っても、ただの一つのことではなく、最高の一つのことという意味です。ダビデはその最高の一つのこととして、神の幕屋のそばにいつまでもいて、神の麗しさを見つめ、神のことを思い巡らすことを願ったと言うのです。

もし神から、一つだけ願いをかなえてあげると言われたら、何を願うでしょうか。一つだけなら、つまらないものを願ってその機会を使い果たしてしまわないように、最高のものを願わなければなりません。さて、何を願うでしょうか。何を願うべきかを考え、3つのことを思いました。一つは、良いものより、良いものを生み出し続けるものを願うべきです。イスラエルあたりは雨があまり降らないので、水はとても価値のあるものですが、その水をいつでも供給する泉ははるかに価値があります。キリストはご自身との交わりを「いのちの泉」と言われましたが、その交わりは生きる力を噴き出す泉のようなもので、何よりも価値があります。一つは、一時的に欲しいものより、ずっと喜びになるようなものを願うべきです。お腹がすいているときは、食べ物が無性に欲しいものです。食べ物を願うことは必要で、悪くありません。しかし、一つだけの願いとしては、もったいないです。食べて満腹してしまうと、あんなに欲しかったのに、その気持ちがどこかへ行ってしまうからです。キリストはヨハネの福音書6章27節で、「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物」を求めるように言われました。それこそ、信仰によって与えられるものです。一つは、見えるものより見えないもの、物質的なものより霊的なものを願うべきです。パウロはコリント人への手紙第二4章18節で言います。「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」

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