2024年6月3日(月)

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聖書一日一章    詩篇 35篇

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それなのに、私がつまずくと彼らは喜んで集まった。(15節)

ダビデはこの詩でも殺害される危機にあって、神に助けを祈り求めています。

さて、11節では、「悪意のある証人どもが立ち、私が知らないことを私に問います。彼らは悪をもって善に報います」と言います。どんな場なのかはよくわかりませんが、ダビデは多くの人に取り囲まれ、証人たちが事実無根の悪事を証言し、そのことで追及されています。悲しいことに、その証人たちも責める人々も、「悪をもって善に報い」と言うように、元々、ダビデが親しくした人々です。13節で言います。「私は、彼らが病のとき、粗布をまといました。私の友や兄弟であるかのように、私は足を運び、母の喪に服するように、うなだれて泣き悲しみました。」それなのに、15節で言います。「私がつまずくと彼らは喜んで集まり、私の知らない攻撃者が、私に向かって集まり、休みなく私を中傷しました。」戦争で敵と戦う場合は、最初から敵だと思っているので、殺そうとしてくるのは当然で、覚悟ができていますし、だますのも作戦のうちと割り切れます。しかし、親切にしてきたのに、自分の都合で裏切り、しゃあしゃあとうそを言うのは、耐えられません。

そんな場面では、悪魔がとくに働いているように思います。そして、悪魔の醜悪さを見せつけられます。たとえば、良い友だちだと思っていた人が、手のひらを返したように態度を変えてしまうことがありますが、吐き気のするようなことです。この場面には、悪魔の特徴がもう一つ現れています。それは、15節に「私の知らない攻撃者が、私に向かって集まり」とあるように、何の関係もない群衆が攻撃してくることです。攻撃し、つまずかせて喜ぶのです。これこそ群衆の暴動の構図、いじめの構図、悪魔の構図です。

キリストも同じように親しい者の裏切りと群衆の攻撃にあわれました。悪魔が働いていたのです。しかし、キリストは負けることがありませんでした。その勝利されたキリストが私たちとともにおられます。今も悪魔は働いていますから、私たちもそんな目にあうかもしれません。でも大丈夫です。勝利の主がともにおられるのですから。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成