2024年6月13日(木)

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聖書一日一章    詩篇 45篇

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あなたの民とあなたの父の家を忘れよ。(10節)

この詩はイスラエルのある王の結婚を祝ったもののようですが、どの王かはわかりません。ただ、どの王にもふさわしくないようなほめ言葉がささげられています。「あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたの唇からは優しさが流れ出る」「あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公平の杖。」「国々の民は世々限りなくあなたをほめたたえよう。」このようなほめ言葉が文字通りふさわしいのは、永遠の王キリストだけですが、へブル人への手紙1章も、6節と7節をキリストの預言として引用していますので、この王をキリストとして受け取ってよいでしょう。そうだとすれば、この詩に登場する王妃は、キリストを信じる人々の群れということになるでしょう。

さて、10節ではその王妃に対して、「娘よ。聞け。あなたの民とあなたの父の家を忘れよ」と言います。現在の結婚は、一人の男と一人の女が結婚して、夫妻であるいは夫妻と子どもたちで暮らすのが普通ですが、流通やインフラが整っていなかった聖書の時代には、とてもそんな少人数では生活できず、一族で暮らすのが普通でした。ですから、結婚すると、必然的に夫あるいは妻の一族と暮らすことになります。聖書には、イサクと結婚したリベカが彼の一族と暮らした例や、モーセが若い頃、逃避した地で出会った娘と結婚し、彼女の一族と暮した例があります。とくに遠い所から結婚して来た場合、ほとんど自分の一族の所に帰れませんでした。遠い所から結婚して来たリベカ、モアブ人で、イスラエル人と結婚したためにイスラエルに来たルツは、一生自分の一族の所へは帰りませんでした。ですから、結婚するときには、二度と自分の一族の所へ帰れなくてもよいという覚悟が必要でした。それで、「あなたの民とあなたの父の家を忘れよ」と言われているのです。キリストを信じることは、永遠の王であるキリストと結ばれることです。私たちはこの世からキリストの所へいわば嫁いで来たのです。キリストはヨハネの福音書15章19節で、「あなたがたはこの世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです」と言われました。ですから私たちはこの世を忘れる覚悟をしなければなりません。この世の人々と仲間になりたいと思うのではなく、この世の人々をキリストの仲間に招きましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成